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介護

最近、介護のことなんてちょっと考えてみたりします。

ままがいるときには、まぁ漠然と、世間的な寿命からいって、

 ババ(父方祖母:ただいま82才)
 じじ(父:62才)
 まま(母:62才)

という順番でお別れが来るんだろうなと思っていました。ままがババの世話をし、じじの世話もし、そしていずれはわたしがままの世話をすることになるんだろうなと。ままの世話ならいいな、温厚な性格だし、その頃になってやっとわたしなどは恩返しができるのだなと。まだそれには20年くらいは猶予があるなと思っていたんですけどね。

それが、思いがけずままが先に旅立つことになって、状況が一変しました。

ババはじじにとって母親なわけですけれども、二人はよく似た偏屈の頑固者同士。おまけに父は、昔ながらの(家のことはあまりしない)タイプですからね、もちろんババのことは気にかけていますけれど、心配している風はできるだけ見せたくない。自然、ババの世話という役目はわたしに回ってきています(父も父なりに頑張っているのでしょうけれど。)

この調子でいくと、ババの世話は(子育てしながら)わたしがし(世間の平均から考えるとあと5年くらい?)、じじの世話もわたしがし(10〜15年後くらい?)、そしてその後、ちちの世話までわたしがすることになったりするのかな(40年後ぐらい?)? また、離れて住んではいるけれど長男ですから、ちちの両親もという可能性も考えられます。

おおっ。他人事、あるいは、まだまだ先のことと捉えていたけれど、にわかにわたしの人生、介護一色になってきたような…?

自分を滅して、みなの世話をしつつ一生を終える…とか、ぜんぜんわたしっぽくないけれど、でもそんなこと言ってられないなぁ、そういう可能性もちょっとは覚悟しておいた方がいいのかもしれない。

でも、例えそうなったとしても、合間合間に、自分らしい何か(仕事でもなんでも)を挟み込んでいけたらいいなぁ。

最近思うのですけれど、
家族って、
ありがたさと、
面倒くささ、やっかいさが、
ひとまとめになったものだなぁと。

もろもろ

この1か月半ほど、家族に風邪が大流行中。しかも今年の風邪はかなりタチがわるい? 

 じじ → ほたる → ちち(喘息に発展)→ ババ(痛風&胃炎に発展?)

わたしも、何度か引き込まれそうになりつつも、その都度、早め早めに葛根湯など飲みつつはねのけてきましたが、あ〜、今度はちょっとヤバいかも。ババの腹痛につきあって金曜に行った都立病院のERで見事もらってきてしまった? 部分的な風邪ならなんとか普段の生活は過ごせるけれど、今回は熱の出る前の悪寒という感じ。うひー。寝込むわけにはいかないのよー。午前中、ババかかりつけのお医者さんに行くついでに、わたしも風邪薬もらってきました。これで効くといいのだけれど。

そんなこんなで、ままがいなくなってからは、ババの世話に結構時間をとられています。病院とかね。

いろんな大きな病気をやってきている割には内蔵などは丈夫なババだけれど、乱視&遠視&老眼に加え、緑内障&白内障&網膜症があって、この半年くらいでかなり目は失明に近づいた様子。役所などの世話になるのが嫌いなババなのできちんと調べてないけれど、きっと介護とか障害者とかの等級、つくんだろうなぁ。足腰や記憶力もままなき後、がくっと衰えてきている感じです。

よーし、仕事がんばるぞーと思っていた矢先に、家事が自分の仕事となり(そもそもが任せすぎではありましたが)、さらに介護に近いことまで。

まったく覚悟などもできていなかっただけに、自分の身が自由にならないもどかしさやいらだちはありますが、でも、うーん、仕方ないよなぁ。

いろいろ手間は増えるし、面倒も増えるけれど、やっぱり家族はたくさんいた方が、にぎやかだし、助け合える部分も大きい。いいことの方が勝っているよなと(冷静なときには)思えるのです。

この状況で何をどこまでできるのか。どこで自分を押し通して、どこは譲るのか。なかなか見通しが利かない中ではありますが、そのときどきで探っていければなぁと思います。

ほたるの想い・その後

ほたるの想いがわかった気がした(日記を書いた)その夕方、ほたる本人にそのことを聞いてみました。

ハハ、ほたるの気持ちがわかった気がするんだけど、これこれこういうことかしら?

「うん、そう、当たり。」
「ハハにおもちゃあげたいくらい正解。」

ぴっかりさんの言葉を参考に、していいこと、しちゃいけないことなどはこれまで通りに(この部分では今までもそう間違っていなかったと思うので)、ただ、それに対してほたるが泣いた場合などは、これまでのようにうろたえたり怒ったりせずドーンと受け止めて(共感して)あげよう、という気構えを自分自身につくったところ、たまたま偶然かもしれないけれど、ここ数日はとてもスムーズにいっています。泣いても長引かない。

また、自己成長のいらいらが、ババではなくわたしに向かうよう、押し相撲の相手にババではなくわたしを選んでもらえるよう、つまりは、どれだけイライラして当たっても「わたしがほたるをきらいになることはないんだ」ということがわかるよう、わたしの愛情を信頼してもらえるよう、言葉にも少し工夫(?)をするようになりました。それも少しずつ功を奏している…のかな。

そうしてみると、逆に言えば、これまでやっぱりほたるはわたしの愛情を信じ切れていなかったわけであり(ときどきキレて後で後悔するようなことを言ってしまったりしていたしね…)、かわいそうなことをしたなぁ、これまでどれだけ不安だったろうなぁ、と反省しきり。

ちょっと遅いけれど、せっかく気づくことができたのだから(前からマズイなぁと思いつつ切り替えられなかったのが、ぴっかりさんとこの言葉をきっかけに切り替えられそうという感じ)、これからは今までの分を取り戻すくらい、愛情いっぱいそそぎたいと思います。で、できるかな。がんばろう…。

ほたるの想い

それが今日、なにか手がかりはないかと、この時期(もうすぐ4才)の成長や状況などの情報を求め、さまよっているうちに…。答えを見つけた気がしました。

ほたるは、ままがいなくなって、わたしのやることが増えたことを知っています。やることが増えて、いっしょに遊ぶ時間が少なくなって。それを不満に思ってストレスになっていることもあるのかなとも思っていたけれど…。

どうやらそうではなくて、ほたるは、大変になったわたしを手伝ってくれようとしているようです、きっと、たぶん。これに気づいたとき、泣いてしまったー。

ハハが大変そうだから、ハハを手伝いたい、ハハの役に立ちたい。だけど、まだ、上手に手伝えないことが多い。でも、ババは上手にハハを手伝っている。ババよりも自分の方が上手に手伝いたいのに。ハハの役に立ちたいのに。

それで、ババに対して悔しい思いが募ってしまっているというのがおそらく理由の一つ。

ババをライバル視しているようなことは、なんとなく気づいていたのです。でもそれは、忙しいわたしの少ない自由時間をババが(おしゃべりなどで)一部もっていってしまうから(ほたるももっとハハと遊びたいのに!)というような類いの、もっと利己的なものなのかなと思っていたんですね。でもどうやらそうではなくて、自分の方がハハの役に立ちたい、というような、わたしへの気持ちがその中には(それも利己的と言えば利己的にしても)折り込まれていたんですね。

あ〜、こどもってすごいなぁ。本当に、ままがいなくなってから、何度、ほたるの中に光を見たことか。癒されて、慰められて、守られて。どちらが大人で、どちらが守られているんだか、ときどきわからなくなってしまう。

それから、もうひとつ、

ハハの役に立ちたい。でも、失敗するのはこわいし、このままずっと甘えていたい気持ちもある。遊んでいたいときもある。

という葛藤の中で生まれるイライラのぶつけ先として、わたしよりも、ババを「どんなことをしても自分を好きでいてくれる人」として認識して、選んでいることもあるのかもしれません。

ほたるのライバル視が、自分自身のため以上に、わたしを想ってのものであることを頭に入れて、今後、ババとほたるに話しかけるようにして、さらに、ババでなくわたしをダダこねの対象として見てくれるよう、わたしがほたるを嫌いになることなどないのだということを言葉で伝えたりしつつ(←まずいなぁと自分でも思いつつ、ほたるが不安に思うようなことをこれまで言ってしまったりもしたからなぁ)、少しずついい方向に変えていけたらなぁ、と思います。

ああ〜、うまく言い表せていないけれど、自分の中ではここ数週間のもやもやがとてもスッキリと晴れた気がします。わーい!

ぴっかりさんの子育て相談室
http://homepage1.nifty.com/pikkari/

最近のわが家

さみしさを紛らすために昼間から酒を飲んでしまうババと、そのことが我慢できない父。そんな構図が母なき後1-2か月つづき、親子なだけに怒鳴り合いに発展することもしばしばでしたが、最近は父にもババを思いやる気持ちの余裕が出、関係は修復に向かっています。

それに替わるようにして、このところ頭が痛いのが、ほたるとババ、そして父の関係。

自分でやりたい、思ったのと違うことを人がすると腹を立てる、以前よりもピリピリとかんしゃくっぽく怒るようになったほたる。特に、なぜか、その態度がババに対してひどく、悩みの種です。

確かに年のせいで随分と忘れっぽくなっているババ。さらに目も耳も弱ってきているため、ほたるの思っていることと違うことをしては、ほたるの怒りを買うこともしばしばで、まぁそれはそれでわかるのですが…。そうではないときにも、近頃では、最初からケンカ腰でババに応じることが多く、困っています。

ほたるがババに生意気な態度をとる。決してのんびりしている方ではないババも、こどもはこれで3代目ですから、こども相手にそう簡単に怒りはしません。そこでほたるが態度を変えればいいのですが(前なら機嫌を直していたと思うのですが)、最近ではなぜか収まらず、まだ生意気な態度をとりつづける。ババもさすがに怒る。怒って自分の部屋に戻ってしまう。(その間、わたしは夕飯の支度に追われている。)

この場にいるのがこのメンバーだけならば、まぁ、ババが部屋に戻ってしまい、泣いたほたるが取り残される、くらいな感じで済むのですが…。問題は、父がこの場にいた場合。短気で厳しい父。3才のこどもが、自分の母親に対してそういう態度をとることなど許せません。手こそ上げないものの(わたしがこどものときは何度か上がりましたけどね)、大声で怒鳴り、泣きすぎたほたるが食べたものを戻したりして、家の中はまぁ、修羅場のような状況に。

いけないのは、確かに、ほたるなのです。自分でも「ババにいじわるをしている」ことは認識しているようです。だからわたしもごはんの支度をしながら、ひどい状況になる前にできるだけ事態を収拾しようと、ババとほたるの間に立って、おさめようと努力はします。けれど、父のごはんを遅らすわけにはいかないので、完全に手を止めてじっくり時間をかけてつき合うことができない。

ババだって父だって、本来、ほたるにメロメロになっている人たちですから、ほたるがそんな態度さえとらなければ、こういう事態にはならないのに。なんでだろう。なにが原因なんだろう。なにがほたるにそうさせているんだろう。

 新しい保育園のせいかな。
 ままのいない家の中がぎすぎすしているからかな。
 少し前のじじとババのやりとりをまねているんだろうか。
 それとも、ただのこの時期の年齢のものなのか…。

ほたるを守りたいのに、ほたる自身が自分でこの状況の種を蒔いている。そして原因が特定できない。このところの悩みでした。