身近な人が亡くなってしまいました。お世話になっていたお肉屋さんです。
お肉屋さんと言っても、店でときたま挨拶をすると言った程度のつきあいではなく、週に3回ほどご用聞き&配達に来てくれていた、出入りのお肉屋さんでした。実家にいる頃からお世話になっていて、もう10年20年のつきあいだったでしょうか。特にババ(わたしの祖母)と仲が良く、何をそんなに話すことがあるのだろう、と孫のわたしたちが首を傾げるくらい、来るといつも30分1時間と玄関でおしゃべりしていたものでした。近所の人よりも、へたな親族よりも、わたしや弟には身近な存在だったのです。
結婚後、新居でも、週に何度かは配達をお願いしていました。特に、赤ん坊の世話で手一杯だった里帰り直後の時期は、お肉屋さんの手作りお惣菜で乗り切ったと言っても過言ではないくらい、ほとんど毎日お世話になっていました。ただ、この半年ほどは、乳腺炎でお肉を避けていたので、ほとんど行き来がなかったのです。最後に会ったのは、数ヶ月前だったでしょうか。
わたしの母乳がほぼストップとなり、ようやく自らの食事制限を解禁したその日、7月1日、けれど、お肉屋さんは、そのわたしからの注文を待つことなく、旅立ってしまいました。
わたしがそのことを知ったのは、数日後のこと。ようやくおいしいお肉が食べられると、意気込んで電話したのに。そのときにはもう、お肉屋さんはこの世にはなく、お通夜もお葬式も終わったあとだったのです。病名すらつかないような、突然死だということでした。
脱力感と。
悔しさと、悲しさと、淋しさと。
なんであとちょっとだけ待っていてくれなかったのだろうと。半年間待っていてくれたのだから、あと1週間、待っていてくれてもよかったじゃないと。お肉屋さんのおいしいお肉がまた食べたかった。半年ぶりに挨拶がしたかった。長い間ごぶさたしていてごめんなさいね、って謝りたかった。大きくなったほたるを見せたかった。
長いつき合いの後に待っていた、あまりに唐突な別れを、わたしはまだ受け入れることができずにいます。
こんなにお肉屋さんがわたしの中に根を下ろしていたなんて、知らなかった。あんなにも元気な声の人が、こんなにもたやすくいなくなってしまえるなんて、知らなかった。
こどもを見ていると、生命ってものは、こんなに力強く思えるものなのに。こんな出来事があると、一方で、とても小さくはかないものなんだということを思い知らされる。
お肉屋さん、ちょっと怖いけど、夢枕に立ってくれませんか。わたしに愚痴の1つでも言いたいでしょう。「随分長いこと、注文くれなかったじゃないの」って。わたしだって言い返しますよ。「せっかくこれからたくさん食べようと思ってたのに」って。本当に、本当にそう思っていたんだから。もうすぐ実家に同居になったら、またお肉屋さんに牛乳と卵頼もうね、お肉も前みたいに頼もうねって、ママともそう話していたんだから。本当なんだから。なんでこんなタイミングでいなくなっちゃうの。すごい、すごいくやしいよ。