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年末・年明け・あれこれ

もうすぐおじいちゃん(ままのお父さん)の一周忌。ままの一周忌ももうすぐなのでいろいろ調べていたら、我の強い質問とその回答などにネット上でたくさん出会い、疲れてしまった。ちょっと吐き気すら…。年かしら。(それとも風邪。)

お歳暮のことなどもそろそろ。両親とも一般企業への勤めではないわが家はあまりこうしたやりとりとは縁がないのだけれど、それでも親族を中心にわずかばかりのやりとりはあります。幸い、毎年お願いしている明太子のお店から今年も(ありがたいことに昨年までの送付先の住所録までついて)カタログが届いたので、これはこの住所をそのまま継承すればいいのね。助かる。

クリスマス、ほたるはスクーターがほしいのだそう。保育園に2輪のものと3輪のものがあり、慎重派のほたるはもっぱら3輪を愛用しているようだけど、年齢からするとそろそろ3輪は卒業かなとも思い、う〜ん、検討中。また要望も変わるかもしれないしね。地元のお世話になってるおもちゃやさんから一応パンフレットだけはもらってきました。

(ここから重いです、ごめんなさい。)

うちの父(じじ)は、とても気の短い人で、半年ほど前、まだ家の中がままなきあと落ち着いていなかった折、わがままを言って聞き分けのなかったほたるをわたしがトイレに入っている間に2階へ1階へと引き摺り回しては(実際に引き摺っているわけではなく、乱暴に抱え上げて、ということだけれど)大泣きさせて、食べ物を戻させてしまった。わたしはそのやりとりをトイレで聞いていて、ほたるを助けたかったけれど、こどものときから自分もそういう怖い目にあってきたからか、身体が言うことをきかず、ただただトイレの中でことの成り行きを見守ってしまった。そして数日前、またしても、虫の居どころの悪かったじじに、ほたるがわがままを言い、1階で怒鳴られ少し乱暴に1mくらいだけど引き摺られたりしていた。わたしは今度は目の前で、怯えながら、でも心はどこか冷めたまま、ただ嵐が過ぎ去るのを待っていた。

こういうとき、ままはいつだって、わたしを守ってくれたのに。今回のほたるのように、わたしが悪かったときにだって、だからって乱暴に扱っていいわけはなく、いつも、乱暴はだめよ!暴力はだめよ!と、必死で間に割って入ってくれたのに。それなのに、わたしは。

今のじじは、わたしの小さいときに比べたら本当に丸くなって、ほたるのことはそれはかわいがっているし、乱暴に扱うと言っても、できる限り抑制しているのは見ていてもわかるのだけれど、そして、やってしまった後に何日も後悔しているのもわかるのだけれど、だけど、ほたるの身になってみれば、おそらくそれはとても心の傷になることだから。自分を守ってくれる母親がちゃんといるかどうかという、大きくなるまでの安心感にも関わってくることだろうと思うから、わたしは必死で守らなければいけないはずなのに。なのに、身体が言うことをきかなくて、自分がまた父に怒られるのがたぶん怖くって、動けなくて。昨日の夜は、そんな自分が悔しくて、悲しくて、ほたるがかわいそうで、申し訳なくて、泣きました。

前回、半年前のときには、まだ今のような新しい家族の形もできあがっていなくて、なんとも頼りない個人の集合体で。ほたるのことがあって、わたしは家を出た方がほたるのためなんじゃないかとすら思った。でもほたるに聞いたら、5人がいいと。怖くてもじじもいっしょがいいと。

今回、今はときどきはけんかしつつもようやく家族らしい形になってきていて、もう家を出て行こうとかは思わないけれど、でも、また同じようなことが起こったら、今度こそ、わたしは立ち向かわなければいけないなと思う。じじに立ち向かって。自分の中のじじが怒ったときへの恐怖に立ち向かって。そしてほたるを守らないと、だめだと。今度それから逃げたら、すごくほたるの後々まで影響が残る気がする。今度こそ、わたしが守らないと。守ってもらえるとほたるが思えないと。

日常的にこういうことがあるわけではないし、今の父よりもずっと怖かったわたしがこどもの時のことを考えても、虐待されていたというような思いはないです。今もほたるが虐待されているとは思わない。たぶん昭和世代の家庭では(極端な例としては星飛雄馬の家のような感じで)よくある父親像なのではないかと思います。だけど、よくある父親像だから、こどもに手をあげてもいいかというと、やはりそれは違うだろうと思う。少なくとも、この程度の(例えば片付けをするのを嫌がったとかそういうことで)ぶち切れて4才のこども相手に手をあげるのは違うはず。見ている母親であるわたしの足が震えるような態度は、違うはず、と思う。自分の心が否定しているのならば、足が震えても、動かない身体を無理にでも動かして、今度あったときには、わたしが手をあげられてでも、ほたるを守らなければ。

ほたる本人は…小一時間もすれば、けろっとしてじじに話しかけてるんですけどね…。

思いつくままに

このところ、風邪が完全に治らず、毎日これくらいの時間にちょっとしんどい。3時から5時ぐらい。身体がだるい。ちょうどごはんつくるくらいの大事な時間なのにね。

最近、目が悪くなったなーと感じる。ひどい近視なのはもとからだけど、それがさらに進んでるぽいなーと。ゲームをめちゃめちゃやっていた時期にも、自分で「おお今急速に視力が悪くなってるな」とか感じたことはないから、そう感じる今はきっとよっぽどにちがいない。そしてそれはおそらく、携帯で(しかも夜暗いベッドの中とかでふと)webにアクセスしちゃったりしてるからなんだろうな。暗い中で、携帯を長く見るのは、かなり目に負担になってる気がしますよ。(やめないとね。)

来年の手帳は、前にも書いたけれど、またモールスキン1日1頁の予定。今年の手帳は、ままの前と後ではもうぜんぜん書き込みの量がちがって、見る度に悲しくなる。ままがいなくなってしまった日にはブックダーツが打ってあるのだけれど、ああ、この日までは、なんの不自由もない幸せな(その当時はなにも感じずにそれが当たり前だと思っていたけれど)日々だったのだなぁと、どうしてそれがもっと長く続かなかったのかと、どうしてこういうことになってしまったのかと、年に1週間でもいいから、あのしあわせな日がまたこれからも戻ってきたらいいのにと。

ままに頼りきりだった家のこと、家族みんなでなんとかこなしているよ。抜けてるところもあるけど。今ままが帰ってきたらきっとおどろくだろうね。あのじじがみんなのために朝ごはんをつくってるなんてさ。夕飯はわたしとババで力を合わせてつくっているよ。ほたるだって洗濯たたむのとか、ときどき手伝ってくれるよ。ゴミ出し当番はちちがやってるよ。今帰ってきたら、ものすごく楽をさせてあげられるのにな。帰ってこないかな。ああ、でも帰ってきたら、また元の木阿弥、結局ままに甘えちゃうのかもしれないけれどね。

WPに移ってから、どのくらいの人がこれを読んでくれているのかわからないけれど、mixiへはほとんど書き込まなくなってしまった。あちらに書いた方がいろいろ返事がもらえるのはわかっているけれど、バックアップはとっているにせよ、なんていうか自分のものとして残らないのは悔しくてさ。自分の文章も、もらったコメントも。ここを読んでいる方は、気楽にここへもコメントしてくださいね。

mixiからは、完全脱出とまではいかなくても、抜け出したくて、でもその代わりとなるものはまだ見つかってません。voxも、MySpaceも、GREEも(ああ、今日からEZ GREEがはじまりました。よく読まないで携帯から同意ボタン押しちゃったけど、auに渡している個人情報とGREEに書いている内容を合わせられたら、結構な情報を取られてしまうなぁとちょっとしまった感あり。EZ GREE自体は、大したことない感じ。はじめてsnsをやる、特に携帯からのみのユーザなどにはいいかもしれないけれど、これまでもモバイルでGREEを触っていた者からすると、あまり興味のない(どちらかというと若い子向けの)機能がいくつかついたんだな、くらいな感じ)、Y!Daysも、どこへも特にまだ落ち着けていない。

ああ、いや、この自分のところに落ち着きすぎているんだな。リンクとかrssとかで(snsでなくても)友だちとはつながれるわけだし(blogなどを持っているリアル友だちがまだほとんどいないという問題はあるにせよ)、WPで全体公開のほか、記事ごとにパスワードもかけられる。

あちこち記事を散らばらすほどには、つまり例えばカテゴリごとにblogを分けるほどには内容のある日記でもないし、どこかにまとめたいと言うならば、自分で管理ができ、使いたい機能もある、ここ、よめいりがいちばんしっくりくるのだよなぁ。

つまり、少なくともわたしにはここさえあれば、特にsnsはいらないということになるのかなぁ、でもsnsという仕組みにはあいかわらず興味はあるのだよね。これからも登録だけはあちこちしてしまい、その都度、なにかに使えないか悩むのでしょう(そして結局なににも使えないままなのでしょう)。

でも、そうだ、おとといくらい、半年くらい返事を出せていなかったタイの友だちからメールが来て、その返事を書きつつ、ああ、外国の友だちとMySpaceとかでつながるのはアリなのかもしれないなぁと。でも今さらこことは別にしかも英文で書けるかな…日記。やっぱ無理か。

そんなこんなのうちに、今までなんとなく避けてきたはてなダイアリーにちょっと興味を持ったり、地元のファーストフードに無線LANが入ったことを(たった今メールで)知ったり、今週は町内のゴミ掃除当番だから、毎日かさこそゴミ置き場周辺の枯れ葉を掃除したり、気持ちのいい秋の天気がつづくので、毎日1枚ずつベランダで布団を干していたり。

日々はすぎていきますね。

秋は気持ちがいいなぁ。生まれ月ということもあり肌になじみます。

秋にいろいろ

髪を切ってきました。ほたるがまた少し伸ばすので、わたしもひさしぶりに伸ばしてみるかな〜と頑張っていましたが、ショートに慣れてしまった身には辛抱たまらず、やっぱり切ってしまいました。すがすがし〜。

帰りにダッシュでしたが、ブルーナモスに寄ってきました。以前できたばかりに寄ったときには、内装が違うくらいしか気づきませんでしたが、実はさりげなくオリジナルな点が多いのかもしれません。内装は白+白木+ガラスの明るい感じ。壁にはブルーナの絵(ミッフィーではありません)。食器は紙ではなく、陶器やステンレスやガラス(トレーも木製)。メニューも(以前気づかなかっただけなのか)デザートが随分と充実していました。姉妹店のデザートを導入しているそうで、ケーキ類がたぶん普通のモスのもの+10種類くらい。あと、ちゃんと見てくるの忘れましたが、確かブルーナモスではアルコール類も出すのだったかな? 店内中程にトイレがあるのですが、これもバリアフリーな仕様。トイレを挟んで入口側と奥にある客席の、奥の方にはこども連れや車椅子の方の姿も見られました。こども連れの方(子連れの友だち同士)の机には、あれあれ、木製のおもちゃが。よく見ると、壁沿いにネフスピールはじめいくつものおもちゃが並び、どうやら自由に席に持っていっていいようでした。これはうれしい。こども椅子には、トリップトラップチェアが採用されてました。

駅に近いこともあって、最近はスタバばかり利用していましたが、またちょっとモスにも目を向けてみよう。

そろそろ街にはクリスマスものが並びはじめていました。年賀状どうしようかな。今年はなしかな。また、お歳暮なども今年はわたしがあれこれ手配しなければならないのだろうな。ここしばらく外とのお付き合いは忘れてのんびりしていましたが、また母代理として忙しい日々がやってきそうです。

塵(ちり)

ここ数ヶ月、自分でも(やることやらないで)何やってるんだろうと呆れるほど、あれこれ調べては試して唸り…の繰り返し。ただ無為に時間を過ごしているだけのような(ままのことを消化するための自分なりのグリーフワークなのかなとも思いつつ)。

そうしてできた、情報の塵。自分の中に、自分の周りに、次第に多く、くるくる回る。その塵の一部が、ようやくここ数日、少しずつ集まっていくつかの何かを形作ろうとしています。

取り入れた情報の量に比べれば、とても質量の小さなモノたちではありますけれど。// 未だ、in/out の in が圧倒的に勝っている状況ではありますけれど。

それでも、input からようやく少しだけ output へと状況が変わってきたことにほっとしている自分がいます。先日の検査で一時でも自分の命について見つめたことで、なにかが動き出したのかも。

塵から形作られてきたもの。

(1)やはりサーバ移転。まずはプライベートのものから。
(2)MTから、wordpressに移行。
(3)WPでの自分のブログをやはりメインに。mixiはサブに。

まだまだ塵はたくさん漂っています。すぐか、あるいは数年後かはわからないけれど、また少しずつ新たな何かの形成に役立っていけばと思います。

夢を見て

夢を見て、ヘンな時間に目覚めてしまいました。

イギリスの電車のホームに、ままとわたしとほたる。わたしが何かままにしゃべって、わたしだけひと足先に電車に乗って出発しようとしたのに(あとからまた合流するはずだった)、ドアが閉まって電車が発車したら、なぜかままが横に乗っている。ほたるはホームでぽつんと1人。茫然としているような、とても悲しそうな。遠ざかっていくホームのほたるの姿に、完全に動揺して、なんで置いてきちゃったのよとままに怒っているわたし。飛び降りるわけにもいかないし、ただ、すぐに取って返すまで無事であることを祈りつつ、まだかすかに見えるほたるに手で、そこにいるように、と合図しようとしたその時、少し遅れてきたらしいちちがホームに現れたのが見えて、ああよかった、と胸をなでおろした…ところで目が覚めました。

ああ、こどものことだと、どうして親はこうも気持ちを乱されるものなんでしょうね。ほたるには言葉の通じない国だし、電車の本数は少ないし、遠ざかっていく姿を見て本当に動転してしまいました。ままが普通に出てきて、普通にどじを踏んでいて、そして普通にわたしがそれを怒っているのがおかしかったけれど。

起きてから、たまたま今回はちちが(夢だから)きてくれたからよかったけれど、万が一こんなことになったらどうしよう〜(ないとは思うけど、絶対ないかどうかはわからないようなことだし)と、念のため、頭の中でシミュレーション。ええと、こういう場合、車内の車掌さんにすぐ話ができるのであれば、車掌さん経由で駅に連絡してもらい、わたしが取って返すまでの間、保護してもらうのがいいのでしょうね。もし車掌さんと話せないならば、次の駅で駅員さんに大急ぎで。もしほたるが携帯を持っているのであれば、ほたるに電話して、なにかしら指示が出せるかもしれない。ああ、それにしても心配ですけどね。でも、今の日本よりは、ロンドンの地下鉄とかではない限り(夢の中のあれはたぶんロンドン郊外ぽかった、地下鉄ではなくて)、イギリスの方が安全そうな気もする。言葉は通じないにしても。まぁ、夢ではちちが出てきてよかった。

ここまで書いて少しだけ目が覚めてきたので考える。

ああ、この夢は、あれかもしれないな。この間、乳がんの疑いがあって、もしわたしにまでもしものことがあったら…と考えたことと連動してるのかもしれませんね。ままとわたしが行ってしまって、ほたるが残される、そのことを(ちゃんと結果が出て、大丈夫だとわかるまで)やはり考えずにはいられなかったから。そしてわたしは、まだ今は、ままと一緒に行くことより、ほたるのために残ることを(当たり前かもしれないけれど)なんの迷いもなく望んでいるんだな、ということもよくわかった。大事にしよう。自分のこと。

おやすみなさい。