ままのこと。

もうすぐ3年が経つけれど。
ままのこと、まだきちんと向き合っていません。
写真もあまりしっかり見られない。仏壇やなにやにも。

向き合えないというよりは、向き合わないようにしているというか。

頭ではもちろんわかっていて、否定したりしているわけではないけれど、
それを気持ちに、感情に、落とし込むということは、避けているんだな。

今のわたしは、家族の中心として、
家族の喜怒哀楽をうまく中継していたままのハブの役目を
ままほどうまくできないながらも引き受けていなねばならなくて、それがわたしの役目で、
だから、みんなが悲しみを一生懸命消化している間、わたしはしっかりしていようと思ってる。

それが辛いとか苦しいとか悲しいとかは全然なくて、
それで家族が新しい形に整ってきているのを見て、
ああ、なんとか自分も自分の役目を果たせているのかなと、
少し、うれしいような、誇らしいような、よかったな、という気持ちになる。

ままのことを考えるのを避けて通っていて、
もしままがそばで見ていて、わたしの心を読めているのなら、
ままのことをほとんど考えない、思い出さない(ようにしている)わたしを見て、
なんて冷たい子なんだろう、とか思っちゃったりしているかもしれないけれど、
ごめんね、と思いつつ、今はまだでも許してね、と思う。

わたしが心底ままのことを考えるようになるのは、
ままのことを考えることを自分に許すようになるのは、
たぶん、わたしがずっと年を取って、ままのところに行く直前かもしれないな。

そのとき、わたしははじめて、オイオイと声をあげて泣くのだろう。

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