きれいな

きょうはたくさんの日記に「ビューティフルライフ」の文字が躍っていることでしょう。最終回。ラスト20分間だけこのドラマを見たわたしは1年前に死んだ友だちのことを考えていました。自殺でした。
niftyの音楽forumで知り合い仲良くしていた彼女とは、もう随分長いこと連絡をとっていませんでした。わたしがniftyからinternet中心の生活に移ってしまったから。ある晩夜中の3時ごろ、微かに名前に覚えのあるnifty時代の知り合いから電話があり、彼女が亡くなったことを知りました。病気を苦にしての自殺、と聞きました。本当の理由はわかりません。

翌日は店を1時間早く閉めてお通夜に向かいました。わたしが駅に着いたとき既に案内人の姿はなく、そこではじめて地図も斎場の名前さえもメモしてこなかった自分に気づきました。近くの電話ボックスで駅周辺の斎場を探し、電話で道順を確認し、変に頭が冴えたような状態で、聞いた道を辿りました。まだ実感は湧いていませんでした。

斎場に近づくにつれ、表に出された白い看板が目に入ってきました。そこにいつもメールで見ていた彼女の名前を確認した途端、すべてが現実となりました。身体から分離していた頭が一気に身体の一部に戻り、ああ、と思ったのをよく覚えています。本当のことなのだと十分承知していたにも関わらず、名前を確認した途端に、ああ、やはり本当なのだ、と。

自動ドア越しに見る斎場には、すでに家族の方と斎場の方らしき姿しかありませんでした。みな静かに何かを待っているようでした。自動ドア越しに、じっと、15分くらいそこにいたでしょうか。やがて斎場の方が入口で立ち尽くしているわたしに気づいて迎えに来てくれました。そして家族の方のもとへ連れていってくれました。

静かな、空気。

すでに全ての涙を流し尽くしてしまったかのような。すでに悲しみの一線を越えてしまったかのような。強くて透き通った静寂がそこにありました。

「顔を見て行ってやってください。」

とお父様が言われました。壇に昇り、柩の扉を開け、トモコちゃんの顔を覗き込んだわたしに、隣りからお父様が静かに

「きれいな顔をしているでしょう?」

と言われました。本当にきれいな顔で、わたしの知っているトモコちゃんの顔で、最初に会った16歳のときから4年、しばらく会わないうちに少し大人びて20歳の女の子になっているトモコちゃんの顔で。このお父様の言葉を、わたしは一生忘れることができないでしょう。どれだけの涙を流したら、これほど静かな言葉を発することができるようになるのだろう。今泣いているわたしなどより数十倍も数百倍も悲しみは大きいはずなのに、慰められているのは慰めなければならないわたしの方で。自分があまりにも無力で。

目の大きな女の子でした。みんなの前ではいつも元気一杯な女の子でした。すべての女の子を応援してくれているような女の子でした。わたし1人でトモコちゃんの運命をどうにかできたとか、そんなことを考えるのはとてもおこがましいことでしょう。でも、何かができたのではないかと今でもやはり思ってしまう。わたしはちゃんとトモコちゃんの友だちでいれただろうか。わたしはちゃんとトモコちゃんを愛せていただろうか。

お通夜から2-3日。空気の中に、風の中に、いつもどおりのトモコちゃんのまぶしいほどの笑顔が、幾たびも幾たびもきらめいては消えていきました。

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