しっかり

母親が亡くなって、まっさきに心配されるのがこどもとは限らないのですね。

母が亡くなった時、いちばん悲しいのはわたしだろうと、わたしはなんの疑問も持たずに思っていました。家族の中でいちばん近い位置にいたのが、わたしだったから。母と娘。血がつながっていて、同居していて、仲が良くて。

でも、それはどうやらちがっていて、みな、それぞれ悲しい。あたりまえだけれど、悲しみの深さ大きさなんて比べようもなく、わたしももちろん、父も祖母も弟もほたるも、母の兄弟姉妹も、みな、本当に悲しんでいる。

母が亡くなって、みなにいちばん心配されるのはわたしだろうと、これまたわたしはなんの疑問も持たずに思っていました。頑固な父や祖母を含む二世帯四世代家族を、これから母の代わりに回していかなければならないのが、わたしだから。

でも、それもどうやらちがっていて、近所の方や母の友人たち、母と同世代の方たちが心配するのは、わたしではなくて、祖母や父でした。

「おとうさんやおばあさんをよろしくね」
「あなたがしっかり頑張ってちょうだいね」

周りの方が父や祖母の心配をしてくれるというのはとてもありがたいことで、わたしがしっかりしなくちゃいけないのは本当にそうなのでしょう。しっかりしなくちゃいけない。がんばらなきゃいけない。でも、母が亡くなって以来、まだほとんど泣くこともないまま自分なりにがんばっているつもりのわたしに、これらの言葉は少しいたい。いたくて、かなしくて、さみしい。

どこまでがんばったら、力を抜いて、泣くことを許してもらえるのだろう。誰かが、今だけ母の代わりにわたしの心配をして、わたしを甘やかしてくれるとすてきなのだけれど。

もっともっと母に甘えたかった。

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