家族を残す者

残された家族にとっては、どんな方法だってつらいよなと思ったけれど、家族を残していかねばならない者にとっては、そうではないかもしれないなと思った。少なくともままは…、最期に会話を交わす時間が欲しかったろうな。そういう時間が与えられることで、いかねばならない人は、より安らかにいけるのかもしれないな、そんなことを思いました。

覚悟もなく、会話も交わせず、最期にも立ち会えなかったわたし。覚悟があれば(余命などがあらかじめわかっていれば)、直前に会話を交わせれば、最期に立ち会えれば、ではもっと納得がいったのかと言われると、よくわからない。

父は、覚悟もなく、会話も交わせなかったけれど、最期には立ち会えた(でもそれがうらやましいとも思えない)。友人は、ひと月という短いときではあったけれど、多少の覚悟はでき、その間会話を交わすこともでき、最期にも立ち会えた(でもそれもまた辛かったのではないかなと思う)。

残される者はそれぞれ与えられたそれを受け入れるしかなくて、でも、残す者のことを考えると、例えそれが残される者にとってはより辛い場合でも、きちんと最期の言葉や表情を受け止めて(安心させて)あげられる、最期に立ち会うという行為はもしそれが可能なのならば、あった方がいいのかもしれないなとそんなことを思いました。

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