一般に、こどもがどのくらいの年で「死」というものを捉えるのかはわかりませんが、ほたるについて言えば、たぶん普通の子よりは少し早かったのじゃないかなと思います。
それは、生まれてから毎年のように親族に不幸があって、すでに何度も葬儀に立ち会っていたから。わたしの伯父さん、ちちの伯母さん、ちちの祖母(このときは関西だったので葬儀には参列できず)、わたしの祖父、そして、まま。
特に、わたしの祖父(ほたるの曾祖父)の葬儀は、昨年末にあったばかりで、もうこの頃はほたるもかなり意識がはっきりしていましたから、お骨になったときの様子などもよく覚えていたようです。今回ままのことがあった際にも、ですから、何が起こったか、これから何が起こるのか、この年の子にしては比較的すんなり把握できていたのではないかと思います(それがいいことかどうかはともかくとして)。
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