ほたるの様子

一般に、こどもがどのくらいの年で「死」というものを捉えるのかはわかりませんが、ほたるについて言えば、たぶん普通の子よりは少し早かったのじゃないかなと思います。

それは、生まれてから毎年のように親族に不幸があって、すでに何度も葬儀に立ち会っていたから。わたしの伯父さん、ちちの伯母さん、ちちの祖母(このときは関西だったので葬儀には参列できず)、わたしの祖父、そして、まま。

特に、わたしの祖父(ほたるの曾祖父)の葬儀は、昨年末にあったばかりで、もうこの頃はほたるもかなり意識がはっきりしていましたから、お骨になったときの様子などもよく覚えていたようです。今回ままのことがあった際にも、ですから、何が起こったか、これから何が起こるのか、この年の子にしては比較的すんなり把握できていたのではないかと思います(それがいいことかどうかはともかくとして)。


最初の日。
朝の6時半に山梨の病院で動かないままと対面し、極度に怖がる。わたしがままの顔に触れると「はは、触っちゃだめ」と必死に止める。部屋から早く出たがる。病院から山梨の家にままを連れて帰る際、山梨の家から東京の家に運ぶ際も「まま、来なければいい。まま、来ないでほしい」と怖がりつづける。東京の家でも、ままの安置された1階には降りたがらず、2階の部屋で食事をとる。夜、何度も何かしら言葉を発して、起き上がり、どこかへ行こうとする。

2日目。
ままの寝ている部屋には入ろうとしないが、1階には降りてこられるようになる。前の晩同様、2回ほど目を覚ますが、あとは(前日よりは)深く眠る。いつもは、ちちの方を向いて寝るが、この日は常にわたしの方を向いて眠る。ときどき手を伸ばして。

3日目。
ままのいる部屋に入れるようになる。顔は見ようとしない。起きることなく眠るが、途中、何の夢を見ているのか、すすり泣き。

4日目・5日目。
通夜と告別式。線香をあげることを覚える。保育園で「ままがお星さまになった」と聞き、すとんと納得ができた様子。卒園式の帰り道、花を摘んできて、ままの棺に入れる。顔は見ないが、少しだけ見そうなそぶりを見せる。棺にみなで花を入れるときには、怖がりながらもなんとか入れる。お骨になって出てくることをとても怖がる。夜、また少しうなされる。

2週目。
ままのことは口に出さない。わたしが悲しむのを見て「ほたるがははのお母さんになってあげる。ほたるがみんなのお母さんになってあげる。」

3週目。
少しずつ、ままの名前がのぼるようになる。「ほたるも悲しいんだけどね、涙は出ないの。」「ままともっと、ちょんちょりんこ(東京音頭を唄いながら遊ぶこと)したかったの。他の人とでもできるんだけどね、ままとするのが一番楽しかったの。」「これ、ままにおみやげ(保育園帰りに葉っぱなどを拾って)。」

4週目。
夜、急に「ほたるね、ははのお母さんになるの、やめてもいい? ほたるもまだ甘えたいの。」「ははもいつか死ぬの? ほたるもいつか死ぬの? ほたる死にたくない…。」

5週目。
時折、保育園帰りに、花や葉っぱのお土産を持ち帰る。四十九日の法要や納骨の際にはまた少し不安そうな様子だったが、もうだいぶ落ち着いている。お骨を壷から袋に移し替えるときには「見たい見たい」と言って覗き込む。摘んだ花を袋に入れさせてもらう。「ままのマネ」と言って、椅子で居眠りをするまねをする。

6週目。
ほたるの中ではもうだいぶ消化された模様。GW中の山梨でわたしがままの最後に寝ていたベッドに寝ていると、いっしょに潜り込んできて、手を合わせる。ときどき「ままが死んじゃったお話して」と、ままの最期の様子を聞きたがる。

こどもはとてもこうしたことを早く消化すると言いますね。ままのことがほたるの記憶から薄れてしまうことをさみしく思いつつも、それはそれでいいのだろう(必要なのだろう)と思いますが、ほたるに比べ、周りの大人(家族)がまだきちんと立ち直れていないのが、前に進もうとするほたるの足をひっぱりはしないかと少々心配しています。

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