Monthly Archive for 5月, 2006

ひとり

今朝、父と祖母が山梨に向かいました。2泊ほどして戻る予定です。わたしとほたるとちちは(仕事や保育園があるので)留守番です。

母が亡くなって2か月とちょっと。けんかし、ときには怒鳴り合いながらも身を寄せ合って暮らしていた家族5人が、今晩はじめて別々の場所で眠ります。浮き沈みはあるものの、それだけ落ち着いてきたということなのでしょう。

わたしはと言えば、ほたるだけでなく、きょうはババまでいないので(介護というのではありませんが、精神的にだいぶ参っているのと、目や足がだいぶ弱っているので、別の部屋にいても常に意識しています)、いつもなら脳の半分以上を占拠している空間がからっぽで、なんだか、ぽかーんと惚けています。

こんなのは、ほたるが保育園に行き出した最初の日ぶりかも。やりたいことはいろいろあるはずなのに、自由をもてあましているような。行きたい場所はあるのに、ほたるやババのことが心配でこの場を離れていいものかどうか、迷うような。

今日は、少しゆっくり仕事でもして、明日はどこかに出かけようかな(と言っても、国分寺の無印に行くくらい)。

あとからあとから

終わりそうで、あとからあとから出てくるいろいろな手続き。きょうは、銀行、郵便局、市役所に行ってきました。これからは二世帯分の家計管理もわたしがやらねばならないので、大変。今は少しずつ月々の予算など様子を見ているところです。全体像がほぼ把握できるまで、しばらくぶりに家計簿などつけなきゃいけないかな…。

DISCASとぽすれんの試用期間が過ぎ、ぽすれんを選択していたわたしですが、母なき後、じっくり集中して作品を観ようという気になかなかならないので(4月5月と1往復くらいしかできなかった)、ぽすれんも一時休止。音のほしいときに流すくらいが今のわたしにはちょうどいいかなと、スカパーを再開させました。今は、ウェザーニュースがついてます。さきほどまではBBC。

昨日は、国分寺へ予定していたほたるTシャツのサイズ変更に行ってきました。100→110へ。ぴたっとしているのもかわいいのですが、保育園にて自分で脱ぎ着することを考えると、どうしても多少のゆとりが必要なのですよね。100でも着れないことはありませんでしたが、脱ぐとき苦戦していたので、変更です。お店の方、お世話さまでした。

ついでに、本屋と手芸屋に寄って、刺繍の本などを買ってきました。この交換したてのbabyGAPのシャツは、ガーリーな形の白の無地。これはこれでかわいいのですが、もうちょっと個性があってもいいかなと、ここに赤い糸で小さな刺繍などしてみるつもりです。刺繍なんて中学ぶり? あまりに素人なのでどきどきしながらお店の方にいくつか質問してみましたが、お忙しそうな様子だったのですごすごと退却。でも知りたかったことはかなりの部分、買ってきた本に載っていたので、なんとかはじめられそうです。うまくいくといいな〜。

織りネーム

あ、雷が鳴りはじめた。雷や夕立は好きです。

今日は、先日購入したGAP babyのサイズ交換に国分寺へ行く予定でしたが、もたもたしているうちに午後になってしまいました。行ったらついでに無印(ここでかなり時間がかかる予定)や銀行にも行きたいので、今日は断念。明日こそ午前中から行くぞ〜。

そんなわけで、きょうはちくちく、ほたるの半袖の名前つけ。4月に長袖+ズボンの名前つけが終わって「やったー!」と思っていたら、あっという間に先日は七分袖+七分ズボンへの針仕事。そしてお次は、半袖+麻七分ズボン。月日はあっという間に過ぎていきますね。

昨年までは、決まりがゆるやかだった保育園だったこともあり、名前は服の内側、襟元のタグなどに油性ペンで書き込んでいました(ときどきはアイロンプリントも)が、今年から入った保育園では、名前は外側につけるようにとの指示。外側に手書きやアイロンプリントではさすがにかっこわるいかぁと、入園間近にあわてていろいろ検索し、個人用に簡単な織りネームをつくってくれるところを見つけた次第です。

ネオ・ジャパン(http://www.neo-japan.jp/)。まったくのオリジナル織りネームもつくってもらえますが、「いくつかのマークから選択+ひらがな」というような簡易な組み合わせからもつくってもらえます。うちは白地に茶の糸で、もみの木マーク(数十種類の中からわたしが10コほど選び、そこからほたるが選びました)と、ひらがなで名字と名前。30枚から注文可能ですが、どうせなら当分使えそうな分をと、今回は140枚ほど頼みました(枚数が増えると単価が下がります。140枚で6300円)。サイトはあるものの、基本は電話や郵送でのやりとりというアナログなところですが、仕事は確かだと思います。

いずれまたお願いすることになりそうなので、自分へのメモを兼ねて。

家のこと、ふしぎ

母が亡くなって2か月。父や祖母と手分けして、前よりたくさん家のことをやるうち、不思議と、これまでは仕方なくやっていた家事などが前より楽しく感じられてきました。

もうこのまま、仕事にはきちんと戻らず、家のことだけ過ごしてもいいかもしれない、と思うくらい。…と言っても、ほたるが今の保育園にいつづけるためには、わたしが仕事をつづける(している)ことが必須なので、そうやすやすとはやめられないのだけれど。

特に、面白く感じるようになったのは、裁縫。ここ最近でやったことと言えば、ほたるの服の名前つけくらいなのだけれど、なんだかもうちょっと勉強すれば、こども服くらいはつくれるようになりそうな気すらしてしまう。ミシンの使い方すら覚えていないわたしなのに、おかしい。それから、そう、刺繍にもなんだか最近とみに惹かれている。絵心のないわたしなので、自分でデザインを考えて…というのは難しいかもしれないけれど、リネンに赤い糸でイニシャルや幾何学模様などをなぞっていくクロスステッチなんかなら、もしかしたら向いているんじゃないかとか。

誰か手ほどきしてくれないかしら。

母の日

もうしばらく前から、街には「母の日」の文字が躍っていますね。それを見て、「ああ」と思います。ああ、そうか、母の日なんだなぁと。

今になって思うのは、もっと母のことが大好きで大切に思っていることをきちんと伝えておけばよかったなぁということです。わかってくれていたとは思うけれど、思いたいけれど、やはり言葉で(声がはずかしいなら、文字でも)きちんと伝えておくべきだったなぁと、叶わなくなった今になって思うのです。

ほたるが生まれて同居になって、「母の愛がどれだけ無償のものかってよくわかったでしょう」「どれだか母の愛が深いものかってわかったでしょう〜」なんて何度か優しく真面目に言われたことがあって、ああ、これは、間接的にわたしのことを大事に思ってくれているって言っているんだなとわかってはいたけれど、そしてそのとき素直に「そうだね」と言えばいいんだなとわかってはいたけれど(そしてできるなら「ありがとう」とも言えればよかったのだけれど)、そのときのわたしは、こそばゆくて、正面からの返答を避けたりなんかしていたのでした。

あれは、わたしの母を想う気持ちを確認したくて言ったことでもあるのかなぁともちらと思うのだけれど、そういう期待のもとに計算して言葉を発する母でもなかったし、また常にみんなへの愛に溢れている母だったので、もしかしてもしかするとちょっとはわたしからのいい言葉を期待していることがなくはなかったかもしれないけれど、きっとそれよりは、わたしやほたるへの愛を伝えたかったりする方が大きかったんだろう、仮にちょっと期待してはいても、きっと(言葉では伝えられなかったけれど)わたしの気持ちは汲み取ってくれただろうと、もうとりかえしもいいわけもできなくなってしまった今となっては、わたしはそう考えたいのです。