悲しいお知らせ

悲しいお知らせです。もっと早くにご報告したかったのですが、時間や心の状況がなかなかそれを許さず遅くなりました。

先月21日明け方、前日までいつもとなんら変わりなく元気だった母が、突然の脳出血にて亡くなりました。週末から行っていた山梨の家でのことでした。明け方、父が寝ている母の呼吸の異変に気づき、救急車を呼びました。わたしは東京にて午前4時過ぎ祖母からの電話にてそのことを知り、急ぎ山梨に駆け付けましたが間に合わず、病院の安置室にてまだ温かさの残る母と対面しました。脳出血発症からわずか2時間。一度も目を覚ますことなく、意識不明のまま、誰と言葉を交わすことなく母は逝ってしまいました。

生まれてこの方、風邪で寝込んでいるところすら記憶にないような元気で丈夫な母でした。前日もいつもの通り庭いじりをしたり夕飯をつくったり。亡くなる5日前にも孫(わたしの娘)の卒園遠足に一緒に多摩動物公園に行ったり。週末に控えていた卒園式、次の週の入園式にももちろん行く気満々で、1月に退職したばかりの父と国内海外いろいろなガイドブックを広げては、大好きな旅行の計画など立てつつあったところでした。本当にあまりに突然のことで、事実を受け入れつつも、家族中がまだ半分夢の中にいるようです。

21日、22日、長い長い2日間が過ぎ、24日に通夜、25日に告別式を終えました。母という大きく太い柱を失い、最初の1週間は家ごと崩れ落ちてしまいそうでした。でも小さなこどもを守るため、次第にみながまとまりつつあります。

ババ(祖母、82)、じじ(父、62)、わたし(34)、風太くん(旦那さん、33)、娘(3)、母に甘えっぱなしだったわが家が再び元気を取り戻すにはまだまだ時間がかかると思いますが、残された家族みなで力を合わせて悲しみを乗り越えていきたいと思いますので、これからもどうぞ暖かい目でお見守りください。


mixiの方へもほぼ同じ文面を残しましたが、あちらは仕事関係の方も多く、プライベートな内容を書き連ねるのもあまり好ましくないと思いますので、今後はこの件についてはこちらを中心につづっていきたいと思います(節目節目ではあちらにも書き込むつもりです)。

しばらくは沈んだ調子の内容が多くなると思いますが、適当に読み流しながらおつき合いいただければ幸いです。

ひと月くらい経って、気持ちや生活も落ち着いてきたら、身内だけに公開の、ままのことばかり記したブログなどもつくってみようかなと思っています。思い出せるうちに、ままのありったけを記しておくようなもの。一年ほど経ってから本の形にでもしたら思い出になるかなと。でもまだぼんやり思っているだけ。


こどもがいることで、こどもの新生活に影響を与えすぎてはいけないと、いやが応にも表向きの家族の生活は日常のペースを取り戻しつつあります。母という大きな存在がなくなってまだ半月だというのに、ここまで回復できるのだろうかというほどに。

ただ、わたし自身について言えば、葬儀の後処理やこどもの入園準備、またこれまで母任せだった家事担当など、日々の慌ただしさを言い訳に、過去のこと、ままの記憶は、無意識に思い出さぬようしているところがあります。無意識に脳がそうしていることを意識しつつも、それに抵抗せず。

茫然自失だった最初の2日間。
家族を立て直すのに必死だった10日間。
今は張っていた気が少しほどけたのか疲れが出ているところです。

これからもまた、いろいろな波を経て、少しずつ頭は母のことを消化していこうとするのでしょう。本当に涙にくれるのは、四十九日が過ぎてから百か日に至るくらいまでとも聞きます(うちは本来無宗教なのですが、お墓の関係で今回いろいろ仏式についても学びました。うちに仏壇が来る日が来るなんて思いも寄らなかった)。まだまだ不安定な精神状態ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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