3週間が経ちました。なんとか生活しています。
気持ちを整理するため、自分への記録のため、心配して覗いてくれている友人のため、少しでもここに何かを記したいと思うのですが、日中はまだなにかと慌ただしく、夜は脳に命令を下されているかのように起きていることができず、娘と一緒に眠ってしまっている毎日です(眠りそのものは浅く何度も目は覚めるのですが)。
この1週間は、立川へ通知状やお香典返しの手配に行ったり、仏壇を決定しに行ったりして過ごしました。
立川は、ルミネと伊勢丹へ。これが思いの外、今のわたしには辛い作業でした。思えば小学生くらいの頃から、母娘水入らずでどこかでかけるとなると、新宿や立川の伊勢丹を中心としたデパートが多かったのですね。家族で出かけるときには旅行が多かったけれど、母娘となると伊勢丹が多かった。小学校の移動教室前、中学の修学旅行前、大学入学や就職活動でスーツをつくる必要があったときや、妊娠してマタニティウェアが必要となったとき、新生児ベビー服を探しに行ったとき、少し大きくなってからは、ほたるの服も買いに。思えば、人生の要所要所、いつも母の好きだった伊勢丹に足を運んでいたのでした。そして亡くなる5日前にも、ほたるの卒園遠足(一緒に行きました)の多摩動物公園の帰り、立川伊勢丹の1階、いつものスタバでラテを飲み、そのときの写真が生前最後の写真となったのでした。
そんな立川伊勢丹に一人で足を運ぶにはまだ早すぎました。そんな気はしていたけれど、実際にその場に行ってみると、想像以上にいろいろな思い出が多くて、自分でも驚きました。入口で大きく深呼吸して中に入ったものの、入ってからも階ごとになんらかの思い出があり、思い出したりして。
特につらかったのは、やはり1階スタバ付近で、最後に座っていた椅子を見ること。見たくないけど、見ておかなくては、逃げてはいけない、というような。まだ母がそこに座っているような気がする中、足が震えるようでしたが、母と同じ飲み物(アイススタバラテ。甘くないのね、なんて言いながら飲んでいたのを思い出します)を頼み、同じ椅子に腰掛けて飲んできました。
お香典返しは、そんな伊勢丹からのものになる予定です。親しい方には、ああ、好きだった伊勢丹ね、と思っていただけるかもしれません。