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母の日

もうしばらく前から、街には「母の日」の文字が躍っていますね。それを見て、「ああ」と思います。ああ、そうか、母の日なんだなぁと。

今になって思うのは、もっと母のことが大好きで大切に思っていることをきちんと伝えておけばよかったなぁということです。わかってくれていたとは思うけれど、思いたいけれど、やはり言葉で(声がはずかしいなら、文字でも)きちんと伝えておくべきだったなぁと、叶わなくなった今になって思うのです。

ほたるが生まれて同居になって、「母の愛がどれだけ無償のものかってよくわかったでしょう」「どれだか母の愛が深いものかってわかったでしょう〜」なんて何度か優しく真面目に言われたことがあって、ああ、これは、間接的にわたしのことを大事に思ってくれているって言っているんだなとわかってはいたけれど、そしてそのとき素直に「そうだね」と言えばいいんだなとわかってはいたけれど(そしてできるなら「ありがとう」とも言えればよかったのだけれど)、そのときのわたしは、こそばゆくて、正面からの返答を避けたりなんかしていたのでした。

あれは、わたしの母を想う気持ちを確認したくて言ったことでもあるのかなぁともちらと思うのだけれど、そういう期待のもとに計算して言葉を発する母でもなかったし、また常にみんなへの愛に溢れている母だったので、もしかしてもしかするとちょっとはわたしからのいい言葉を期待していることがなくはなかったかもしれないけれど、きっとそれよりは、わたしやほたるへの愛を伝えたかったりする方が大きかったんだろう、仮にちょっと期待してはいても、きっと(言葉では伝えられなかったけれど)わたしの気持ちは汲み取ってくれただろうと、もうとりかえしもいいわけもできなくなってしまった今となっては、わたしはそう考えたいのです。

ほたるの様子

一般に、こどもがどのくらいの年で「死」というものを捉えるのかはわかりませんが、ほたるについて言えば、たぶん普通の子よりは少し早かったのじゃないかなと思います。

それは、生まれてから毎年のように親族に不幸があって、すでに何度も葬儀に立ち会っていたから。わたしの伯父さん、ちちの伯母さん、ちちの祖母(このときは関西だったので葬儀には参列できず)、わたしの祖父、そして、まま。

特に、わたしの祖父(ほたるの曾祖父)の葬儀は、昨年末にあったばかりで、もうこの頃はほたるもかなり意識がはっきりしていましたから、お骨になったときの様子などもよく覚えていたようです。今回ままのことがあった際にも、ですから、何が起こったか、これから何が起こるのか、この年の子にしては比較的すんなり把握できていたのではないかと思います(それがいいことかどうかはともかくとして)。
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眠り

数日前から、よく眠れます。

四十九日が過ぎたという時期的なものでしょうか、春から初夏に移る季節的なものでしょうか。夜、何度も目が覚めるのは相変わらずですが、その回数も少し減っているようで、朝目覚めたとき、先日までの半分眠っているような状況よりは、だいぶすっきりしています。

今日は、午前中、郵便局や銀行に行ってきました。これまで母の名で登録され引き落とされていたカードや公共料金たちを、父の名義に替えてやらねばなりません。今週はそんな手続きで過ぎてしまうかな。

来週はどこかでまた、お香典返し・第二陣の手配をしに立川伊勢丹へ足を運ぶ必要がありそうです。お花やお線香をくださった方へのお礼状も書かなければ。やらなければならないことはまだまだたくさんありますね。

どこかで床屋と指圧も行きたいな〜。

連休明け

連休初日の29日、四十九日の法要を終えました。法要と納骨と。おいしい精進料理をみなで食べてきました。

1日から6日までは、山梨の家へ。母が最後に寝ていたベッドにほたると寝転がってきました。山梨滞在中は、このところあまりみなに遊んでもらえず我慢がつづいていたほたる中心に、毎日あちこち遊びに出かけました。屋内の流れるプールや、引き馬、水遊びに、アイスクリーム工場。ほたるのストレスは少しは発散できたかな。けれどその代わりに、みなが遊びに出ている間、ひとり山梨の家で留守番をしていたババが(さみしくなって)大量にお酒を飲んでしまい、柱に激突。顔に大きなアザとコブができてしまい、今はひどい顔になってます。

楽しかったような、大変だったような、むなしかったような、さみしかったような、けれど、そんな連休も終わり、日々は過ぎていきます。少しずつ少しずつ。

新しい生活、家での担当に慣れたとはまだ言いがたいし、葬儀の後処理(あとからいただいたお香典やお花やお線香のお返しやお礼、銀行手続きなどなど)もまだだいぶ残っていますが、きょうからわたしも仕事再開です。まずは、卸の仕事から。小売の方は、もうしばらく様子を見てから。

仕事用留守番電話のメッセージを通常のものに切り替え、卸用サイトへも再開のお知らせを出しました。お取引先からのご連絡やご注文を待ちながら、今日は、ほたるの初夏用シャツ&ズボンに名前をつけています。

しっかり

母親が亡くなって、まっさきに心配されるのがこどもとは限らないのですね。

母が亡くなった時、いちばん悲しいのはわたしだろうと、わたしはなんの疑問も持たずに思っていました。家族の中でいちばん近い位置にいたのが、わたしだったから。母と娘。血がつながっていて、同居していて、仲が良くて。

でも、それはどうやらちがっていて、みな、それぞれ悲しい。あたりまえだけれど、悲しみの深さ大きさなんて比べようもなく、わたしももちろん、父も祖母も弟もほたるも、母の兄弟姉妹も、みな、本当に悲しんでいる。

母が亡くなって、みなにいちばん心配されるのはわたしだろうと、これまたわたしはなんの疑問も持たずに思っていました。頑固な父や祖母を含む二世帯四世代家族を、これから母の代わりに回していかなければならないのが、わたしだから。

でも、それもどうやらちがっていて、近所の方や母の友人たち、母と同世代の方たちが心配するのは、わたしではなくて、祖母や父でした。

「おとうさんやおばあさんをよろしくね」
「あなたがしっかり頑張ってちょうだいね」

周りの方が父や祖母の心配をしてくれるというのはとてもありがたいことで、わたしがしっかりしなくちゃいけないのは本当にそうなのでしょう。しっかりしなくちゃいけない。がんばらなきゃいけない。でも、母が亡くなって以来、まだほとんど泣くこともないまま自分なりにがんばっているつもりのわたしに、これらの言葉は少しいたい。いたくて、かなしくて、さみしい。

どこまでがんばったら、力を抜いて、泣くことを許してもらえるのだろう。誰かが、今だけ母の代わりにわたしの心配をして、わたしを甘やかしてくれるとすてきなのだけれど。

もっともっと母に甘えたかった。