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へとへと

ひさしぶりに電車に乗って数駅先まで行ってきました。ひさしぶりに電車って! でもほんと、このところは、家と保育園とスーパーの往復くらいしかしていなくって。今日も、数日前から「行くぞー行くぞー明日こそは行くぞー」と気合いをかけて、ようやく行ってきたのでした。

もともとインドア派な上に、今、一人で行ってもね、いろいろ見て歩くには、まだ頭は霞がかかっているようで、外に開かれていないというかなんというか。友だちと一緒ならまだ楽しめたのだろうけれど。もっと言うなら、ままと一緒なら大喜びで行ったのだけれど。

仕方ないよね。行かねばならなかった用事は、お香典返し。ままと一緒に行けるわけはない。

疲れました。でも気の重かった用事がひとつ済んでよかった。

家族を残す者

残された家族にとっては、どんな方法だってつらいよなと思ったけれど、家族を残していかねばならない者にとっては、そうではないかもしれないなと思った。少なくともままは…、最期に会話を交わす時間が欲しかったろうな。そういう時間が与えられることで、いかねばならない人は、より安らかにいけるのかもしれないな、そんなことを思いました。
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残された家族

友だちのお母さまが亡くなりました。ひと月ほど前に、すでに手の施しようのない末期のがんだということがわかり入院されていましたが、数日前、家族に見守られ、静かに旅立たれたとのことです。

わたしにも、わずか数日でも言葉を交わす時間がほしかったかなと考えると、よくわからない。宣告を受けてから過ごす日々はどれほど辛いだろう。あれだけ元気だったままが弱っていく姿をわたしは見ていられただろうか。最期に立ち会いたかった気もするし、やはり耐えられない気もする。

あまりに突然のさよならさえ言えない別れに納得しているわけではないけれど、突然ではなくさよならが言えたなら納得できたかと言われればそうも思えない。どんな別れ方だって、簡単に納得なんてできるわけない。

それでもみな自分に与えられた別れ方を受け入れていくしかないのだろう。それが昔から繰り返されてきたことなのだろう。

ままがいなくなってから、時折、そんなことを考えています。

せめて、自分のその時を少しでも遅らせられるよう、今年はどこかで人間ドックに入っておこう。

こんな子に

何年か前の新聞に、こんな記事がありました。小さなこどもを持つ親に対して行ったアンケートの集計です。

 「どんな子に育ってほしいか?」

答えのほとんど(確か半分以上)が「優しい子」でした。さにあらん。

そのときのわたしは、すぐに、「ああ、わたしだったらそうは答えないな」と思いました。わたしだったら、ほたるにはこんな風に成長してほしいな。

 「考えられる子」
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里帰り?

2-3日前から、不思議な感覚にとらわれています。

日に1-2度、ほんのわずかな間なのですが、ままがまだいるような錯覚を、起こしてしまうのです。一瞬後にはすぐ、ああちがうんだ、と気がつくのですが。

これがなくなってすぐのことならばわかる気がするのですが、4か月経った今になってあらわれるというのはどういう脳の状態なのでしょうね?

案外、あわてんぼうのままが旧盆を前にして、もう戻ってきちゃってるのだったりして。