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お礼(川崎病)

まだ少し早いけれど‥。

コメントを残してくださった方、メールをくださった方、そしてここをこまめにチェックくださったみなさん、ずっと見守っていてくださってどうもありがとうございました。

ここに書くことで、そして、応援してくれる方がいることで、どれだけ心が落ち着いたことでしょう。

わたしはこれまであまりなぐさめられる立場になったことがなく、人をなぐさめるのが苦手だったのですけれども(なぐさめても、当事者でないわたしが何を言ってもしょせん気休めにすぎず、偽善にすぎないのではないか、かえって辛い思いをさせてしまうのではないか、と思うと、かける言葉が見つからなかったのです)、そうではないんだ、こんなにちゃんと気持ちは届くものなんだ‥ということが実感できた今回の出来事でした。応援してくださる、気に留めてくださる人がいることが、こんなに心強いなんて。

まだ退院までは少しあるけれど、だからまだちょっとだけ早いけれど、みなさん、本当に、どうもありがとうございました。

川崎病(9日目)

発熱から9日目(入院5日目)。

「もうおそらくは安心して平気でしょう」

今日はようやくこの、待ちに待ったうれしい言葉を(医師の口から)聞くことができました。ガンマグロブリンが外されて2日。その後も熱は上がらず、平熱をキープできているので、おそらくはこのまま回復するだろうとの診断です。来週火曜に心電図やエコーなどの精密検査を行い、さらに再来週の火曜日に同じ検査をもう1度して、どちらの検査とも問題がなければ、晴れて退院となるのです。うれしい!どうかこのまま何事もなくいきますように。

お昼すぎには、いよいよ、栄養点滴も外されました。点滴のために入院以来しっかり固定されていた右手(利き手)は解き放たれ、これだけでもほたるのストレスはかなり軽減されましたが(家から持ってきたシールを両手でベッドの柵に貼りまくっていました)、3時半ごろからはさらにプレイルームで遊ぶことも許され、もう大ハッスル。さっそく大好きなおままごと(台所)遊びに興じていました。大泣きしたら抱っこして廊下を散歩すればいいし、退屈したらプレイルームに連れていけばいい。動けるってだけでこんなに違うものか、と驚きました。

動くのが好きな(自由でいるのが好きな)ほたるをベッドに縛りつけておかなければならないのは、本当に辛かった。退院まではまだあと10日ぐらい。ここまでが5日だということを考えると、先は長いけれど、身体が自由になっての10日ならなんとかクリアできる、かも。がんばろう。

川崎病(8日目)

発熱から8日目(入院4日目)。

今日は、ガンマグロブリン投与後の休息日(様子見日)でした。短時間でも点滴が外され自由の身になることを期待していましたが‥それは叶いませんでした。相変わらず、栄養点滴などにしばられ、行動範囲はベッド周りのみ。まだ食べる量が少ないために、栄養を補充する必要があるのだとか。それを聞いて、昼と夜はかなり頑張って、食事、摂らせました。早く動けるようにならないと、ほたるのストレスもかなり頂点だから。

動けないことにストレスを感じられるようになるほど、ほたるの身体の方はよくなってきました。昨日の夕方でガンマグロブリンは外され、その後の熱の行方が見守られましたが、今日の就寝時まで、熱はあがらず35度台をキープ。明日の朝まで引き続き見守られてはいますが、こうなってくると「まだ安心しちゃだめだ、まだ油断しちゃだめだ」と思いつつも、どこかほっと力の抜けていく自分がいます。退院するまでは、まだ、安心してはいけないとわかってはいるのだけれど。

身体が回復するにつれ、遊び方も泣き方ももとのようにダイナミックになってきました。昨日まではベッドに座っての遊びだったのに、今日はベッドの上に立ち上がって「あっほー(やっほー)」と大はしゃぎ。点滴の紐をくっつけたまま、あっちこっちと動き回るので、こちらは点滴針が抜けないよう大忙しです。また、寝るとわたしが帰ってしまう、と学習したほたるは、昼寝時間&就寝時間ともに、それは元気な力の入った声で大泣き。ついおとといまでの弱々しい泣き声とは大違いです。耳をつんざくような泣き声が廊下に響き渡ること、1時間。ほたる、ようやく就寝。ほっとしたのは、わたしだけでなく、こどもを寝かしつけ中の他のおかあさんたちもだったに違いない。みなさん、お騒がせいたしました。

<今日の思い出しメモ>
熱が出る前々日、おしりからももにかけて、虫にくわれたようなプツプツがあったのを思い出しました。公園などでズボンに虫が入ったか、おむつかぶれか、それ以外のものか‥。その後のバタバタですっかり忘れていましたが、今回のことともしかしたら関連があったりするのでしょうか。川崎病には、虫原因説、なんてのもあるのかしら?

川崎病(7日目)

発熱から7日目(入院3日目)。

昨日から続くガンマグロブリンの投与により、ほたるの熱、見事に下がりました。午前中は36度台と37度台を行ったり来たり、夕方には35度台に。(さがりすぎ?)発疹も、ほとんど消え失せました。手足の赤みももうほとんどありません。BCG部分の晴れ(赤み)はまだ少し。今いちばん痛々しいのは唇で、かなり乾いて荒れています。口を開くと縦に切れて血が出るような状態。リップも持って行っていますが‥あまり塗らせてくれません。

薬のせいなので、まだ手放しには喜べないのですが、それでも熱や発疹などの悪い症状が身体から消えるというのは、うれしくほっとするものです。ほたる自身も(外からはわからない薬の副作用等があるにせよ)だいぶ楽にはなっているハズなのですが‥。どうにもご機嫌がよろしくありません。

痛くて怖いことばかりされる病院にいるということが1つ。1日中点滴なのでベッドから遊びにも出られないということが1つ。そして、そんなところに自分を押し込んでいるわたしたち親への不信感というものが、大きく1つ。

そう、今回の入院で、ほたるからわたしたち(特にわたし)への信頼感は大きく音を立てて崩れていったような感じです。頑固なほたる、これまでできるだけ無理強いはしないように(納得するまできちんと説明を試みて)、嘘はつかないようにと、ほたるへの態度には自分なりの筋を通してきたつもりですが、病院という場では、わたしやほたるのペースで進められることなど、本当にわずかしかなく‥。泣き叫ぶほたるに「ハハが一緒だから大丈夫よ」と言った直後に「はい、おかあさんは、出てて」と処置室を追い出されてしま(い、結果として嘘をついたことになってしま)ったり、「ベッドから降りちゃダメよ」「点滴の管をひっぱっちゃダメよ」「お薬飲まなきゃダメよ」とどうしてもダメよダメよが増えてしまったり。そんなわたしを見るほたるの目の、なんと冷めたこと。嗚呼。からだが元気になって退院してきても、もとのように信頼を取り付けるまでには、しばらくかかることになりそうです。

明日は、点滴投与後の様子見の日。ガンマグロブリンが終わっても、今日はなにやら別の(栄養の?)点滴をされていたけれど、明日にはそれも外れるのでしょうか。動き回ることができるようになれば、もう少しは機嫌が良くなると思うのだけれど‥。いや、それよりなにより、再び熱と湿疹が出てこないことを切に祈ります。

入院(川崎病)

昨日月曜日、ほたるが緊急入院しました。書きはじめると長くなりそうで、もう少し後になってから書こうかとも思ったのですが、やはりリアルタイムで書くことに意義があるのかもしれないと思い直し、ここに。

病名は、「川崎病」です。名前ぐらいは聞いたことがあるでしょうか。川崎市で発生した公害病?と思いきや、地名とは関係がなく、川崎先生というお医者さんが発見したために名付けられた名だということです。原因不明の病。発見から四半世紀たった今もなお、病原体がつきとめられていない病気なのだそうです。現れる症状は、以下の通り。

・5日間以上続く熱
・発疹
・目の充血
・イチゴ舌&唇の腫れ
・手足のむくみ&手足の赤み
・リンパ線の腫れ
・BCG周りの腫れ

原因不明の病気ですから、ここを調べてこうなら川崎病、とすぐに断定できる類いのものではないようです。上記の症状がいくつも重なって、そこで初めて「川崎病(だろう)」ということになるのです。1つ1つはどれもなんてことない(よくある)症状のように思えます。そのため、医師でも判断が難しかったりするようです。ほたるの場合、このうちイチゴ舌(これは口を開けてくれなかったので未確認)以外、すべてに当てはまりました。

この病気で一番怖いのは、心臓に近い冠動脈にコブができる可能性があるということ。例えできてしまっても、通常はすぐさま生死に関わるわけではないのですが(関わる場合も、あります)、大事な冠動脈をコブが一部塞ぐ形になってしまうため、そこが詰まってしまわないよう、将来に渡って、血をサラサラに保っていく必要があるのだということです。詰まったらどうなるか?心筋梗塞です。

1日目(木曜日)。
熱が出たのは、木曜日でした。お昼寝の後、午後2時頃、いきなり保育園から電話があったのです。熱が38.1度あるので迎えにきてくださいと。ヘンだな?と首を傾げました。朝はそんな様子は全然なかったのです。その時点でまず疑ったのは、日射病、熱中病の類いでした。風邪なら、何かしら思い当たることがありそうに思えたからです。ほたるの様子が比較的元気だったこともあり(熱はあるものの、普通に遊んでいました)、やはり熱中病かな?と、その日は身体をできるだけ冷やすようにして過ごしました。夜、寝る前だけ、やはりだるいのか少しぐずりました。

2日目(金曜日)。
朝、38.6度。保育園は休み、町医者に連れて行きました。一晩寝て熱が下がらなかったので、熱中病ではなくやはり風邪なのかな、と思い直しました。(わたし自身、日射病で数日間寝込んだことがあるので、まるきり疑いを捨てたわけではありませんでしたが。)医者も、風邪だろうという診断でした。ただ、GW明けにひいた風邪(この時も同じ医者)から、その後もずっと、軽いながら目やにが出、ノドもぜろぜろいっていた旨を伝えると、少し首を傾げていました。ただの風邪なら普通は5日程度で収まるはず、それだけ続いたというのは、保育園で何度も風邪をもらったか、あるいはもっと大きな病気なのか‥、まあ、保育園に行っているなら何度ももらったと考える方が一般的でしょう、と。その日は、そこそこの元気さでした。

3日目(土曜日)。
この日はだいぶ元気でした。熱もさほどでもなかったので、夜、2日ぶりにお風呂に入れました。この時、おしりが少し赤くなっているのに気づきましたが、このところの暑さでかぶれたかな、程度にしか思いませんでした。

4日目(日曜日)。
朝は、いつも通り‥のように思えました。朝食を食べている最中に、ほたるの足の先に発疹を見つけるまでは。あわててズボンをまくってみると、虫に刺された程度ではない、明らかに内側から出てきたであろう発疹が広がっていました。あわてて背中をまくってみると、そこにもまだ少量ながら発疹が。これはどうやら風邪でもないらしい、とそのとき思いました。この辺りから、ほたるの具合はぐっと悪くなりました。普段、風邪でもなかなか自分からは(夜と昼寝以外は)寝ようとしないほたるが、朝食後、自分から「ねんね」と布団に向かったのです。熱もかなりあがっていました。この日以降、39度台が続きます。また発疹はみるみるうちに全身に(顔以外)広がっていきました。寝ては、少し起き出し、やはり辛いのかすぐまた布団に戻る、という1日。ほたるが寝ている間にネットで検索。わたしの中では「これはおそらく麻疹(はしか)だろう」という結論に落ち着きました。予防接種を受けたにしては、重いけれど‥と思いつつ。日曜にERに駆け込むほどではないと判断して、医者には週明けに行くことにしました。夜、39.9度。

5日目(月曜日)。
朝、39.4度。前日のようにまた1度起きたあと寝てしまったので、お昼前にようやく町医者(いつもの小児医院)へ。医者はすぐにピンと来たのでしょう、親指を針で刺して採血し、再度、診察室に呼ばれた時にここで初めて「川崎病」の名前が出ました。すぐに、近くにある都立病院のERに回されました。ERで待機していた小児科医も同じ診断。そのままそこの小児病棟に入院となりました。小児病棟でさらに別の(担当となる)小児科医に診察を受けましたが、やはり同じ診断。症状を見て判断するしかない病気ですから、断定こそしないものの、医師の説明・表情から、ほぼ間違いないのだろう、と読み取れました。その日は、川崎病でないことを想定した抗生物質を点滴で投与。もしこれで熱が下がれば、何か違う菌が入ったのだということになります。わたしと離れて夜眠ったことのないほたるが、この日、知らない人ばかり、痛い検査ばかりの、怖い病院で、1人夜を越すことになります。

6日目(火曜日・今日)。
熱は、下がりませんでした。これでいよいよ「川崎病」と断定され(それでも100%ではないのですが)、川崎病であると想定しての治療がはじまりました。川崎病の治療に使われる薬は2つ。鎮痛剤のアスピリンと、ガンマグロブリンという血液製剤です。HIVなどの一件があってから、血液製剤の使用には保護者の許諾(署名)が必要になったとのことでしたが、川崎病自体も大きな後遺症を残しかねない病気だということ、また同じ血液製剤とは言えガンマグロブリンを使うリスクはさほど大きくはないと説明されたことから、わたしたちはほとんど迷わず誓約書にサインをしました(前日の夜、提出)。指定された10:00amに病院へ。そこには、泣きすぎたのか、今までに見たことがないほど、目の腫れ上がったほたるがいました。採血ほか、様々な検査を泣きながら受けた後、11:30amからいよいよガンマグロブリン投与開始。最初の1時間は、アレルギー反応等を警戒して、少なめの量です。これは問題なくクリアし、1時間後から量が3倍になりました。点滴の最中にも、入れ代わり立ち代わり医師や看護士がやってきては、ほたるを泣かせていきます。(もちろんほたるのための検査ではあるのですが。)ほたるには怖いことだらけの、生まれてから一番辛い1日だったかもしれません。それでも、午後には少しだけ熱が下がり、時折笑顔も出るようになりました。アスピリンが効いたのか、ガンマグロブリンが効いたのかは定かではありませんが、いずれも全く効果が出ないという場合もまれにあるようなので、ひとまずなんらかの(いい)反応が出たというのは、ありがたいことでした。怒濤の1日。ぐったり疲れて、わたしたちが退散する予定だった面会時間ぎりぎりの8:00pmを待たずして、7:00pmごろには眠ってしまいました。

ガンマグロブリンは、明日も引き続き投与されます。2日に渡って投与され、その後1-2日様子を見るのだそうです。投与後、徐々に回復に向かうのか、あるいはまた熱が出てしまうのか。熱が出た場合には、再投与。なんとか回復に向かってほしいところですが、わたしたち親にできることは、病院という場所にあってもほたるが心穏やかに居心地よく過ごせるよう環境づくりをしてあげることと、ほたるの生命力を信じて祈ること‥くらいしかないようです。

家にいても、時折、ほたるの声が聞こえます。「ハハ」という声や「あっこ(抱っこ)」という声や。いや、こんなこと書いていると泣けてきちゃうので書くのやめますが。

がんばりましょう。つぎに泣くのは、ほたるが元気に退院してきたときにしよう。うれし涙にしよう。