昨日月曜日、ほたるが緊急入院しました。書きはじめると長くなりそうで、もう少し後になってから書こうかとも思ったのですが、やはりリアルタイムで書くことに意義があるのかもしれないと思い直し、ここに。
病名は、「川崎病」です。名前ぐらいは聞いたことがあるでしょうか。川崎市で発生した公害病?と思いきや、地名とは関係がなく、川崎先生というお医者さんが発見したために名付けられた名だということです。原因不明の病。発見から四半世紀たった今もなお、病原体がつきとめられていない病気なのだそうです。現れる症状は、以下の通り。
・5日間以上続く熱
・発疹
・目の充血
・イチゴ舌&唇の腫れ
・手足のむくみ&手足の赤み
・リンパ線の腫れ
・BCG周りの腫れ
原因不明の病気ですから、ここを調べてこうなら川崎病、とすぐに断定できる類いのものではないようです。上記の症状がいくつも重なって、そこで初めて「川崎病(だろう)」ということになるのです。1つ1つはどれもなんてことない(よくある)症状のように思えます。そのため、医師でも判断が難しかったりするようです。ほたるの場合、このうちイチゴ舌(これは口を開けてくれなかったので未確認)以外、すべてに当てはまりました。
この病気で一番怖いのは、心臓に近い冠動脈にコブができる可能性があるということ。例えできてしまっても、通常はすぐさま生死に関わるわけではないのですが(関わる場合も、あります)、大事な冠動脈をコブが一部塞ぐ形になってしまうため、そこが詰まってしまわないよう、将来に渡って、血をサラサラに保っていく必要があるのだということです。詰まったらどうなるか?心筋梗塞です。
1日目(木曜日)。
熱が出たのは、木曜日でした。お昼寝の後、午後2時頃、いきなり保育園から電話があったのです。熱が38.1度あるので迎えにきてくださいと。ヘンだな?と首を傾げました。朝はそんな様子は全然なかったのです。その時点でまず疑ったのは、日射病、熱中病の類いでした。風邪なら、何かしら思い当たることがありそうに思えたからです。ほたるの様子が比較的元気だったこともあり(熱はあるものの、普通に遊んでいました)、やはり熱中病かな?と、その日は身体をできるだけ冷やすようにして過ごしました。夜、寝る前だけ、やはりだるいのか少しぐずりました。
2日目(金曜日)。
朝、38.6度。保育園は休み、町医者に連れて行きました。一晩寝て熱が下がらなかったので、熱中病ではなくやはり風邪なのかな、と思い直しました。(わたし自身、日射病で数日間寝込んだことがあるので、まるきり疑いを捨てたわけではありませんでしたが。)医者も、風邪だろうという診断でした。ただ、GW明けにひいた風邪(この時も同じ医者)から、その後もずっと、軽いながら目やにが出、ノドもぜろぜろいっていた旨を伝えると、少し首を傾げていました。ただの風邪なら普通は5日程度で収まるはず、それだけ続いたというのは、保育園で何度も風邪をもらったか、あるいはもっと大きな病気なのか‥、まあ、保育園に行っているなら何度ももらったと考える方が一般的でしょう、と。その日は、そこそこの元気さでした。
3日目(土曜日)。
この日はだいぶ元気でした。熱もさほどでもなかったので、夜、2日ぶりにお風呂に入れました。この時、おしりが少し赤くなっているのに気づきましたが、このところの暑さでかぶれたかな、程度にしか思いませんでした。
4日目(日曜日)。
朝は、いつも通り‥のように思えました。朝食を食べている最中に、ほたるの足の先に発疹を見つけるまでは。あわててズボンをまくってみると、虫に刺された程度ではない、明らかに内側から出てきたであろう発疹が広がっていました。あわてて背中をまくってみると、そこにもまだ少量ながら発疹が。これはどうやら風邪でもないらしい、とそのとき思いました。この辺りから、ほたるの具合はぐっと悪くなりました。普段、風邪でもなかなか自分からは(夜と昼寝以外は)寝ようとしないほたるが、朝食後、自分から「ねんね」と布団に向かったのです。熱もかなりあがっていました。この日以降、39度台が続きます。また発疹はみるみるうちに全身に(顔以外)広がっていきました。寝ては、少し起き出し、やはり辛いのかすぐまた布団に戻る、という1日。ほたるが寝ている間にネットで検索。わたしの中では「これはおそらく麻疹(はしか)だろう」という結論に落ち着きました。予防接種を受けたにしては、重いけれど‥と思いつつ。日曜にERに駆け込むほどではないと判断して、医者には週明けに行くことにしました。夜、39.9度。
5日目(月曜日)。
朝、39.4度。前日のようにまた1度起きたあと寝てしまったので、お昼前にようやく町医者(いつもの小児医院)へ。医者はすぐにピンと来たのでしょう、親指を針で刺して採血し、再度、診察室に呼ばれた時にここで初めて「川崎病」の名前が出ました。すぐに、近くにある都立病院のERに回されました。ERで待機していた小児科医も同じ診断。そのままそこの小児病棟に入院となりました。小児病棟でさらに別の(担当となる)小児科医に診察を受けましたが、やはり同じ診断。症状を見て判断するしかない病気ですから、断定こそしないものの、医師の説明・表情から、ほぼ間違いないのだろう、と読み取れました。その日は、川崎病でないことを想定した抗生物質を点滴で投与。もしこれで熱が下がれば、何か違う菌が入ったのだということになります。わたしと離れて夜眠ったことのないほたるが、この日、知らない人ばかり、痛い検査ばかりの、怖い病院で、1人夜を越すことになります。
6日目(火曜日・今日)。
熱は、下がりませんでした。これでいよいよ「川崎病」と断定され(それでも100%ではないのですが)、川崎病であると想定しての治療がはじまりました。川崎病の治療に使われる薬は2つ。鎮痛剤のアスピリンと、ガンマグロブリンという血液製剤です。HIVなどの一件があってから、血液製剤の使用には保護者の許諾(署名)が必要になったとのことでしたが、川崎病自体も大きな後遺症を残しかねない病気だということ、また同じ血液製剤とは言えガンマグロブリンを使うリスクはさほど大きくはないと説明されたことから、わたしたちはほとんど迷わず誓約書にサインをしました(前日の夜、提出)。指定された10:00amに病院へ。そこには、泣きすぎたのか、今までに見たことがないほど、目の腫れ上がったほたるがいました。採血ほか、様々な検査を泣きながら受けた後、11:30amからいよいよガンマグロブリン投与開始。最初の1時間は、アレルギー反応等を警戒して、少なめの量です。これは問題なくクリアし、1時間後から量が3倍になりました。点滴の最中にも、入れ代わり立ち代わり医師や看護士がやってきては、ほたるを泣かせていきます。(もちろんほたるのための検査ではあるのですが。)ほたるには怖いことだらけの、生まれてから一番辛い1日だったかもしれません。それでも、午後には少しだけ熱が下がり、時折笑顔も出るようになりました。アスピリンが効いたのか、ガンマグロブリンが効いたのかは定かではありませんが、いずれも全く効果が出ないという場合もまれにあるようなので、ひとまずなんらかの(いい)反応が出たというのは、ありがたいことでした。怒濤の1日。ぐったり疲れて、わたしたちが退散する予定だった面会時間ぎりぎりの8:00pmを待たずして、7:00pmごろには眠ってしまいました。
ガンマグロブリンは、明日も引き続き投与されます。2日に渡って投与され、その後1-2日様子を見るのだそうです。投与後、徐々に回復に向かうのか、あるいはまた熱が出てしまうのか。熱が出た場合には、再投与。なんとか回復に向かってほしいところですが、わたしたち親にできることは、病院という場所にあってもほたるが心穏やかに居心地よく過ごせるよう環境づくりをしてあげることと、ほたるの生命力を信じて祈ること‥くらいしかないようです。
家にいても、時折、ほたるの声が聞こえます。「ハハ」という声や「あっこ(抱っこ)」という声や。いや、こんなこと書いていると泣けてきちゃうので書くのやめますが。
がんばりましょう。つぎに泣くのは、ほたるが元気に退院してきたときにしよう。うれし涙にしよう。