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七五三準備

ほたる、今年は七五三です。

決まっていることは、3才のときと同じように、かつてわたしが着た着物を着ること。でも、3才のときと違うのは、ままがいないこと、そして、ババの頭がもうはっきりしていないこと。

桐のタンスから、たぶんこれかな、という着物をひっぱり出したはいいものの、本当にこれでいいのかどうか(着物の色は覚えているけれど、帯なんかはよく覚えてない)、必要なものが足りているのかどうか、髪飾りなどの小物が時代遅れのものになっていないかどうか、そんななにもかもがわからない。

どうしたものかと頭を抱えた後、ふと、そうだ、と思って、以前(まだままがいる頃に)ほたるの浴衣を買った呉服屋さんに、ひっぱり出したものすべてを持ち込んでみることにしました。

結果、そこそこきれいな状態で保管されているので事前にクリーニングに出す必要はないということ、ゆきも丈も少し大きめだけど直すほどではないということ、ほぼすべて揃っているけれどいくつか足りない小物があるということ(これはそちらで買わせていただくことにしました)、髪飾りも今持っているもので十分だということ、など教えていただくことができ、ほーっとひと安心しました。

ひっぱり出したときには、途方に暮れるあまり、いっそすべてがセットになっているレンタルの方が失敗がないのでは… などとも思いましたが、かつてババがこだわって選んでくれた思い出の着物、できればやはりこれを着せたいなぁと思ったので、その希望が叶いそうでうれしいです。

近況報告など

きょうは、病院帰りに立川周辺を回ってきました。

まずは、お気に入りのグランドホテルのランチバイキング。立川のホテルバイキングというとパレスホテルのものが有名なようですが、質は断然こちらの方が上と思います。11Fなので景色もいいし(と言っても立川なので大したものが見えるわけではありませんが)、スタッフもより訓練されている感じ。なにより前菜にあたる洋風総菜たちが丁寧につくってあって好感が持てます。スープもおいしい。一応、売りはローストビーフということになっていますが(やわらかいお肉でなかなかおいしいです、ソースが和風なのも珍しくて好き)、それ以外もおざなりでないところが気に入っています。この夏は、吐き気止めの副作用のために過食気味だったこともあり、短期間に何度も足を運んでしまいました。大人1890円。ドリンクも込みです。幼児は525円。

その後、ipod touchをビックで見がてら(携帯で情報が入ってきた新しいmacbookも見られれば〜と思ったけど、まだ発表があったばかりで発売ではないのでした、当然、店には並んでませんでした)、伊勢丹6FでZARAをチェック、それからルミネ7Fで無印をチェック、さらに、ecuteに新しく入ったships系の店を見た後、グランデュオ5FでGAPをチェック。ZARA、無印、ships、GAP、いずれもほたるの秋服目当てでしたが、みな建物が違うのでいつもながら歩かされました〜。ふ〜くたびれた。(そして収穫はなし。)

ほんとは、国分寺の丸井に行こうと思っていたのですけれどね、リニューアルした10日以降まだ行っていないので。でもなんだかんだと立川で時間がかかりすぎてしまったので、そちらはまた次回。無印が入ったのですよね〜。西友の方はどうするのかな。確か少し前に西友が店舗を100店規模で減らすような記事を見た気がするので、もしかしたらその対象なのかもしれません。あと、ユニクロも大きくなったらしいので、そちらも楽しみ。これまで国分寺店はキッズの扱いがなかったのですよね、確か。中央線沿線で最大と聞いたけど、本当かしら。武蔵境にあるユニクロもかなり大きかったと記憶しているけれど。あと、ロフト。無印、ユニクロ、ロフト、と、なんだか立川ルミネと同じようなラインナップになってしまったけれど、そう言えば、丸井と言っても、丸井は1-5F、それより上階はJRの駅ビル系(エル)なのでしたね。納得。1Fにできた横浜フランセ、新聞広告でずっと気になっていたのだけれど、このあいだ初めて食べて、おいしかったです。1000円で12個だったかな? ちょっと自分の普段のお菓子用というわけにはいかないけれど、ちょっとしたおみやげによさそうです。

それから、帰りがけ、今朝、こどもを(遠足で)駅まで送っていったときにはじめて気づいた、最寄り駅近くのカフェに挑戦。外から見たときには、シアトル系(あるいは風)なのかな、あまり聞かないけどチェーンなのかな、と思ったけれど、入ってみたら、どうやらここが一店舗目の個人店(若いスタッフが3人いました)のようでした。豆も、使っている乳製品も北海道製、珈琲はどうやら水出しの模様…? アイスカフェオレ1杯750円は、うちの駅にしてはちょっと高額ですが、内装も家具も食器もいろいろこだわりが感じられるかわいいカフェ、応援していきたいなと思いました。

それからそれから、きょうは、ババが退院してきました。10日ほど前、胸が苦しいと訴え、救急車で搬送、そのまま入院していたのでした。病名は、心不全からくる呼吸困難。もともと身体が強い方ではなく、医者からも「あんたはこれまで3回死んどる」と言われちゃうくらいいろいろ(病気を)やってきたババ、負けん気で生きてるような感じですが、もとからある狭心症に加え、加齢から心臓の弁がうまく動かなくなってきているとのことでした。搬送後、少ししてだいぶ顔色もよくなり、翌日には食事もできるように。病院嫌いの本人は早く帰りたがっていましたが、肺に水がたまっているとのことでそれを抜くためと、検査のため、しばらく入院となりました。搬送当日、これはまあなんていうか形式的なものだと思うのですけれども、万一容態が急変した場合、心臓マッサージならびに呼吸器(?)をつけるかどうか、ということを聞かれたのですね。わたしは、ババの搬送後しばらくの様子から今回はまあそういうことにはならなそうだなと思ったし、また一方で、ままのことがあってからババにもいずれそう遠くないうちにそういうことが起こりうるだろうことは覚悟も多少はできてきたので、冷静にフンフンと聞いていたのですが、じじはちょっと動揺していたみたい。まだあまり覚悟ができていなかったのだろうなぁ。また、入院中は、ババがいつもやってくれている洗濯物たたみと食器洗いをわたしとじじで手分けしてやったわけですが、じじ、ババのありがたさをちょっと実感したみたい。わたしは、じじばばが山梨に行っているときなどに体験しているので、わかっていたのですけれどね。そんなこんなで、ババに対してちょっとえばリん坊だった最近のじじですが、ちょっと意識が変わったかも。これは今回の収穫。入院中、ほとんど歩かずベッドのカーテンの中だったらしいババ、足腰があからさまに弱ったのと、認知が進んだかなぁ、と思えるのが、残念な点。身体も精神も少しずつ家でリハビリ、回復してくるといいけれど。

わたしの方は、先週とうとう6クール2週目、最後の抗がん剤点滴を終えました。週末にはだいぶ吐き気やだるさもとれて、ああ、いよいよ終わりが見えてきた…! としあわせな気分です。まだあと1-2週間は白血球が減少しているので、終わったーとは言えないのですが(吐き気よりほんとはこの時期が危険)、白血球減少は何事もなければ生もの食べたときに激しくお腹を壊すくらいなので、吐き気よりは全然楽(トイレにすぐ駆け込める状態での下痢はそんなに嫌いじゃない)。風邪など気をつける必要はあるけれど、気持ち的はもう終わったも同然。わほーい! ま、この後まだ、放射線治療、ホルモン治療と、治療は5年くらい続くわけですけれども。

そんなこんなで、家族みな、まあ、それなりに元気に(?)過ごしてます。

ババと台所

毎日、夕方から、ババと台所に立っています。

何もすることがなくて(時代劇チャンネル見て、お酒を飲むことくらいしかやることがなくて)このままではあっさりぼけてしまいそうなババに、会話と、やることを提供するために。そして、ままから教われなかった料理の知識をわたしがババから教わるために。

味覚も視力も食事への熱意も最近ではあまりなくなってしまったババに主要部分をまかせるのはもはやちょっと難しいかなと思って(本当はその辺りを任せるのがいちばんのボケ防止かなとも思うのだけれど)、実際にはこれ切って〜あれ洗って〜と簡単な下ごしらえを手伝ってもらっているくらいだけれど、それでも学ぶことは多い。この野菜はしばらく水につけてあく抜きしておく、だとか、これは茹でた後にすぐ水にさらした方がいい、だとか。料理の本に載っていないそんな小さな知識を仕入れられるのはとてもありがたい。

なにより、ババと台所に立つようになって、初めて知ったことなのだけれど、ふたりで台所に立つのって、楽しい!

おしゃべりと。
互いの手を見ながらの連携と。
二倍のスピードでできあがっていく料理と。

こんなに楽しいことならば、ままとも一緒に台所に立てばよかったなぁ。ひとりで立ってもふたりで立ってもどうせ同じだと思っていたけれど、こんなに違うものなんて。娘とふたり台所に立つこと、ままも憧れていたのではないかなぁ。ようやく退職して、ままにも時間の余裕ができて。わたしも同じ家にいて。もったいないことしたなぁ。

母と娘、湯布院あたり行きたかったとか、ランドセルいっしょに選びたかったとか、ほたるがもちょっと大きくなったらケーキバイキングに行きたかったとか、いろいろ、いろいろ、あるけれど、でも今ならいちばんやりたいのは、いっしょに台所に立つことかもしれないなぁ。

縛られ感(2)

あまりシリーズ化したくない内容だけれど(もうしばしご容赦)!

ままのことについての精神状態は、もうだいぶ落ち着いてきています。そりゃもちろん思い出せば、かなしいし、さみしいけれど、だいぶ整理はついてきています。

9月にサーバの移転をし、MT→WPへの移行を行ったのだって、その証しと言えるでしょう。それまでは、とてもそんな気分にはなれなかったし、気力も集中力もなにもなかった。けれど、乳がん騒動があってから、半年間どうしても前を向いてはくれなかった目が、ようやく未来を見つめられるようになったのでした。自分は少なくとも生きていて、現在にいて、そして未来に歩いていかねばならないのだと。それも守らねばならない家族を伴ってね。

それ以来、ひさしぶりに、はりきって、なにか、つまり、WPへの移行作業をして。いろいろいじって楽しくって、safari→firefox2.0も行って、ますますはりきって、よめいりの更新などして。眠っていたアンテナがようやく動き出した感じで、やっと少しずつ本来の自分に戻っていくみたいで。うれしかったのでした。

それでも、まだ、どうしてももどかしさが抜けないのは、これだけ生活が落ち着いてきたというのに、自分の精神状態も回復して、新しい家族の形もできあがってきて、日々のペースができてきたというのに、自分の気持ちが、なかなか仕事へ向かっていかないことに気づいていたからでした。まるで逃げているように。

そう、逃げている。

一昨日、同じように家族をなくされたばかりの知り合いの方からメッセージをいただいて。似たような回復状況でありながら、その方はすでに仕事に向かってぐんぐん進んでいて。わたしだってアンテナを伸ばしているけれど、どうしてそれは仕事方面じゃないんだろう。どうしてわざと仕事にそっぽを向いて、現実逃避しているかのように、他のことに夢中になっているんだろう。ちょっと軽い自己嫌悪におちいったりもして。

でも、それはわたしの場合、生活環境自体ががらりと変わってしまったせいなのだなあ…と、きょうになってはじめて思ったのでした。

ままがいるときには、わたしのライフプランは、漠然とですけれど、こんな感じでした。あと2年もすればほたるも学校にあがってかなり手が離れるだろう。もう1人こどもが生まれたとしたら(それを希望しているわけですが)また1-2年のあいだはかなり寝不足で真夜中作業の仕事になるだろうけれど、それでもそれさえ過ぎれば、当面はゆっくり仕事に集中できるだろう。

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  ↑ ↑   ← このへんから仕事に集中 →   ↑
  ひ 2                     介
  な 人                     護
  た 目                     ?

けれど、その目論見はあっという間に崩れ去り。今のライフプラン(?)はこんな感じです。ほたるはあと少しでだいぶ手が離れるだろう(さみしいけど)。もう1人こどもが生まれたら、ままがいない今、産後すぐにわたしが食事の支度とかしなければいけないのかな。うう、つらいな。それから保育園に入れるであろう2才くらいまでは、寝不足の日々だろうな。ま、それは元からの予定だから仕方ないか。さらにババの目と記憶はかなりぼやけてきている。今はまだ介護というところまではいっていないけれど、あと1年後には一体どうなっているだろう。予想もつかないな。その後だって、あと何年どういう状況でババが生きていくのか。毎日どのくらい介護に時間がとられ、どのくらいの期間それがつづくのか。その後、じじは一体どんな感じでそれに続くのか。

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  ↑ ↑↑       ↑    
  ひ 2介       介             
  な 人護       護
  た 目?       ?

子育てと介護で決定的に違うのは、おそらく、こどもが徐々に成長していくのに対し(だから大変でもそれ以上の喜びがあるのに対し)、介護する年寄りは衰退の一途だということ。そのやりきれなさ。そして、これが最近になってようやく実感していることなのだけれど、子育てにある程度の見通しが立つのに対し、介護についてはかなりの部分が霧の中だということ。いつ、どんな風に介護が必要になり、そしてまたいつどのようにしてそれから解放されるのか、それは、誰にもわからない。

それだから、今のわたしは、なかなか仕事にとりかかれないのだなと、そんなことがようやくわかりました。

もしかしたら明日にも、ババは介護が必要となるかもしれない(ままがいなくなってから、すでに酔って柱に頭をしこたまぶつけ大きなこぶをつくってみたり、何度も鍋を焦がしていたり、野菜といっしょに自分の小指を包丁で切り落としそうになったりしているので、あながち冗談でもありません)。そんな、いつ急ブレーキをかけなければならないかもわからない状況で、どの程度、仕事を再開していいものか、それが今のわたしには判断できず、足踏みしているのでしょう。

(1)いずれ介護が必要となっても、ペースを落とさず走りつづけられるほどのゆっくりとしたスピード(つまり現状のまま)で、その時が来るまで走りつづけるのか(どれだけ仕事に物足りなさを感じたとしても)。

(2)あるいは、いっそ、走ることをやめて、今から赤信号に備えておくのか(でもそれだとほたるが保育園にいられなくなってしまうかもしれない)。

(3)はたまた、少なくとも今はまだババも(それなりに)健在で、わたしにも時間があるわけだから、今できるだけの仕事をきちんと再開して、その時が来たら、またその時考える(おそらくは方々に謝りつつ急ブレーキをかけさせてもらう)のか。

ちち曰く、わたしは未来のことを考えすぎて、心配しすぎるタチだそうです。ババ曰く、あんたはいろいろややこしく考えすぎる、だそうです。お世話になった助産婦さん曰く、そんなに頭でばっかり考えない、だそうです。

こういうみんなは、きっと(3)を選ぶんだろうな。わたしもそれを選んでいいのかなぁ。どうだろうなぁ。

縛られ感

この縛られ感はなんなんだろう。

この半年ほど、つまりままがいなくなってしまってから、家にとてもとても縛られています。いや、縛られている感じがしています。

ままがいたときには、じじやばばはままの直轄にあって、さらに言えば、わたしもままの直轄にあって、わたしの管轄に、ちちとほたるがいた。

 まま ー じじ
    ー ばば
    ー わたし ー ちち
          ー ほたる

家のこと一切をやってくれていたのは(はずかしながら)ままだったから、家事はほとんど気にしなくてよかったし、平日の日中、仕事や用事で外に出かけるのにもなんの遠慮もいらなかった。行ってくるね、でよかった。土日も、まま&じじ&ばば、わたし&ちち&ほたる、と、分かれて行動するときには、そんな感じの分かれ方だった。どこに行くにもほぼ自由。

けれど、今。すべてがわたしの管轄下。

 わたし ー じじ
     ー ばば
     ー ちち
     ー ほたる

家事をやらなければならないのはもちろん(最低限しかやってないけれど、それでも日に2時間くらいはとられてしまうかな)、なにより辛いのは、気持ちが縛られてしまうこと。

平日日中。家事に2時間とられたって、残りまだ数時間はある。仕事や用事ででかけることだって、時間的には十分可能。それだけど。実際には、ばばのことが気になって、電車に乗っての外出はなかなかできない。介護というところまでは行かないけれど、家の中まで付き添わねばならないほどではないけれど、目や物覚えがだいぶ悪くなっていて、ときどき鍋を焦がしたり、包丁で手を切りそうになったりするから、安心はできない。気の強い人ではあるけれど、同時にすごく弱いところもあり、過去に躁鬱の診断をされたこともあるし、アルコール依存気味でもあるから、わたしが出かけたときなどは、大抵、帰ってくると(さみしさに負けて)ベロンベロンになっている。これは本当に(酒に逃げる人間が嫌いなわたしには)たまらない。飲んでるときと飲んでないときでは、おおげさでなく、ジキルとハイドくらい性格が違ってくるのだから。

土日。じじとばばだけで、もっと仲良く楽しく過ごせれば気が楽なんだけど。似た者同士の気の短い親子。ぶすっと会話もなく、それぞれが酒を飲んで過ごしたりする。それが高じて、けんかになることもしょっちゅう。ばばはまだ自分のごはんくらいは適当に(もう年寄りなので量も少ないしあまりこだわりもないので、本当に適当に)つくれるけれど、もう人のごはんまで気にかける感じではないので、わたしたちがじじを残してどこかへ出かけると、じじは(どこかに食べにでも出ればいいのに)ペヤングでも食べながら、機嫌を悪くしている。それで土日もなかなか自由な行動はできない。

そんなこんなで、最近では、電車に乗るのは、数週間に1度程度。ちょっと考えられない頻度でしょう?

毎日、保育園に送って、買い物行って、お迎えに行って。外出はそれくらい。あとは家で仕事をしたり、用事を済ませたり。ままがいるときには、毎月ちゃんと消費していた自分のおこづかいも、ここ数ヶ月はほとんど手つかずです。

もともと出不精な性格だから、そうでない人よりはましだと思うけれど、それでもさすがにこれは、わたしでもストレスがたまる。出不精だからって、自由まで放棄しているわけではない。自由の中で自分で外出しないことを選ぶのと、そもそも自由がないのとでは話が違うよね。

でも。

これは、わたしが自分で思い込みすぎてるのかな、とも思う。思い詰めすぎているのかなーと。勝手にばばのせいにしているだけで、ほんとうはそんなに心配することなく、もっとどんどん出かければいいのかなとも思う。別に行くなと言われているわけではないのだから。

でもね。

帰ってきて、ぐでんぐでん、目が据わって、言うことだけは強気で、ろれつの回らない、よろよろ歩く、酒くさいばばを見るとね、がっくりくるんだよね。がっかりするというか、うんざりするというか、情けないというか。行くときは気持ちよく送り出してくれたのに、また結局飲んじゃったのか。また酒に逃げちゃったのかって。

ばばのことを想っているとかそういうのじゃなくて、それへの嫌悪感で、あれとまた向き合わないのがいやで、わたしは自分を家に封じているのかもしれない。(次回につづ…きそうな予感。)