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家の建て替え

家の建て替えは、まだもうしばらく先になりそうだというお話。

今、二世帯(正確に言うなら役所的には三世帯。中身はまるきり一緒の生活だけれど)で暮らしているこの家は、築30年くらい。生活するだけならこれと言って大きな不満もなくまあまだ現役だけれど、耐震面などではやはりちょっと不安もある昨今。こどもの成長なども考え合わせると、ほたるが小学校のうちに建て直すようかねぇ、とままと相談していました。わくわく間取りなど考えたりしながら。

けれど、そのままが急に旅立ってしまった今、建て直しはもう少し先になりそうかなぁと感じています。

ひとつに、ばばの目のこと。白内障に緑内障に網膜症と以前からいろいろな目の病気を持っていて「いつかは失明しますよ」と医者に言われてきたばばだけど、ここに来て、急激に目が見えなくなってきています。たぶん一番影響しているのは網膜症なのかな。今はもう近くでも人の顔などよく見えないみたい。テレビも好きな時代劇をつけてはいても、背を向けて声だけ聞いているような感じです。そのばばにとって、建て替え時期の1年くらいと完成してその後ずっと、これまでと違う家で過ごさねばならないというのは(もうその頃には失明しているかもしれないし)不安かつ苦痛なことだろうなと。たとえ新しい家が物理的に目の不自由な人に快適なつくりであったとしても、精神的に。

また、ままのことがあってから、じじとばばにこの家への執着が以前に増して大きくなっていることも感じます。ばばに関してはまあ年寄りですしね、もともと愛着があるように感じています。ままとわたしが嬉々として建て替えの話などしていたときにも、あまりうれしそうではなかった。ままなき後、その気持ちはさらに強くなっているでしょう。まして認知症も出てきている(感じの)今、住み慣れた場所を移るというのはあまりよくないと聞きます。が、ばばについては想定内と言えば想定内。想定外だったのは、じじの方です。頑固で厳しそうに見えて、実はミーハーで新し物好きなところもあるじじ。家の建て替えについても決して反対ではありませんでした。どちらかというと楽しみにしている感じ。ところがままのことを境に、「この家はまだ使えるしな」「(数年前の簡易)リフォームのときにも、設計士がこの家は丈夫だと感心していたしな(←たぶん言ってない。どちらかというと中の構造的なことなのではっきりとはわからないけれど耐震性にはもしかしてちょっと…みたいな反応だった。が勝手にいい風に変換されちゃってる)」と、にわかに及び腰に。自分が現役なうちは建て替えてほしくない、というようなニュアンスに変わってきました。まぁわかるんですけれどね。ずっと暮らしてきたうちですし。あちらこちらにままの記憶が刻まれているし。

わたしとちちは、そろそろ建て替えたいな、という気持ちです。ちちはおそらく耐震面で。なにしろ阪神淡路大震災の経験者なので。わたしもやはりほたるなど守らねばならない存在がいることだし耐震面では不安を感じています。それから、家を建てることへの好奇心と。

でも、じじばばのことを考えると、うーん、もうしばらくは難しそうかなぁという結論です。

こういう話もどうかと思うけれど、ままがいなくなってから、人の死というものがえらく身近であまりわたしの中ではタブーでもなくなってきたので言ってしまうと、まぁ、ばばも平均寿命や今の状態を照らし合わせると、あと数年かなぁと思います。ばば自身もあと2〜3年かなと言っている。まぁ、20年くらい長生きすることも考えられるけれど。じじは、平均寿命まであと10年ちょっとくらい。建て替えるタイミングは、ばば以降じじ以前、という感じかなと今は思っています。あまり遅くなるとそれはそれでわたしたちも年があがってきて、ローンなど必要となった際に辛そうですしね。

中学になったらさすがに必要だろうなぁと思っていたこども部屋については、ままの部屋がひとつ空いたことと、なかなか二人目を授からないことから、今のところ間取り的にはなんとかなりそう。

建て替えがまだ先なら、まずは耐震性についてできることから。今年は「浮いたお金」を防災に回す、わが家の防災年にしよう〜とちちと相談しました。まだついていない火災報知器を義務づけられてる箇所につけて〜(これは対火災)、消化器も買った方がいいのかな。あとは、各部屋の倒れそうな棚に金具くっつけて、各寝室に常設靴を設置して、予備の食料と水を用意して、防災バッグ?も揃えて。こう考えるといかに今何もやってないかわかるな〜。テレビとか見てそのときだけ「やろう!」って気になってもなかなか実行に移せないから、1年かけて少しずつ準備していこう。

日常

じじばばが4日ぶりに山梨から帰ってきた。
あ〜あ、という気持ちと、やれやれ、という気持ちと。

それでも乱れに乱れていたここ数日の自由時間満載の日々から、
自然といつものペースに気持ちが切り替わるのは、

まんまるの円満家庭ではないけれど、
あちこち縛られて気を遣って不自由この上ないけれど、

これが、今は、やはり、一年半かけてつくってきた、
うちの、わたしの、家族の形なんだろうな。

縛られ感

この縛られ感はなんなんだろう。

この半年ほど、つまりままがいなくなってしまってから、家にとてもとても縛られています。いや、縛られている感じがしています。

ままがいたときには、じじやばばはままの直轄にあって、さらに言えば、わたしもままの直轄にあって、わたしの管轄に、ちちとほたるがいた。

 まま ー じじ
    ー ばば
    ー わたし ー ちち
          ー ほたる

家のこと一切をやってくれていたのは(はずかしながら)ままだったから、家事はほとんど気にしなくてよかったし、平日の日中、仕事や用事で外に出かけるのにもなんの遠慮もいらなかった。行ってくるね、でよかった。土日も、まま&じじ&ばば、わたし&ちち&ほたる、と、分かれて行動するときには、そんな感じの分かれ方だった。どこに行くにもほぼ自由。

けれど、今。すべてがわたしの管轄下。

 わたし ー じじ
     ー ばば
     ー ちち
     ー ほたる

家事をやらなければならないのはもちろん(最低限しかやってないけれど、それでも日に2時間くらいはとられてしまうかな)、なにより辛いのは、気持ちが縛られてしまうこと。

平日日中。家事に2時間とられたって、残りまだ数時間はある。仕事や用事ででかけることだって、時間的には十分可能。それだけど。実際には、ばばのことが気になって、電車に乗っての外出はなかなかできない。介護というところまでは行かないけれど、家の中まで付き添わねばならないほどではないけれど、目や物覚えがだいぶ悪くなっていて、ときどき鍋を焦がしたり、包丁で手を切りそうになったりするから、安心はできない。気の強い人ではあるけれど、同時にすごく弱いところもあり、過去に躁鬱の診断をされたこともあるし、アルコール依存気味でもあるから、わたしが出かけたときなどは、大抵、帰ってくると(さみしさに負けて)ベロンベロンになっている。これは本当に(酒に逃げる人間が嫌いなわたしには)たまらない。飲んでるときと飲んでないときでは、おおげさでなく、ジキルとハイドくらい性格が違ってくるのだから。

土日。じじとばばだけで、もっと仲良く楽しく過ごせれば気が楽なんだけど。似た者同士の気の短い親子。ぶすっと会話もなく、それぞれが酒を飲んで過ごしたりする。それが高じて、けんかになることもしょっちゅう。ばばはまだ自分のごはんくらいは適当に(もう年寄りなので量も少ないしあまりこだわりもないので、本当に適当に)つくれるけれど、もう人のごはんまで気にかける感じではないので、わたしたちがじじを残してどこかへ出かけると、じじは(どこかに食べにでも出ればいいのに)ペヤングでも食べながら、機嫌を悪くしている。それで土日もなかなか自由な行動はできない。

そんなこんなで、最近では、電車に乗るのは、数週間に1度程度。ちょっと考えられない頻度でしょう?

毎日、保育園に送って、買い物行って、お迎えに行って。外出はそれくらい。あとは家で仕事をしたり、用事を済ませたり。ままがいるときには、毎月ちゃんと消費していた自分のおこづかいも、ここ数ヶ月はほとんど手つかずです。

もともと出不精な性格だから、そうでない人よりはましだと思うけれど、それでもさすがにこれは、わたしでもストレスがたまる。出不精だからって、自由まで放棄しているわけではない。自由の中で自分で外出しないことを選ぶのと、そもそも自由がないのとでは話が違うよね。

でも。

これは、わたしが自分で思い込みすぎてるのかな、とも思う。思い詰めすぎているのかなーと。勝手にばばのせいにしているだけで、ほんとうはそんなに心配することなく、もっとどんどん出かければいいのかなとも思う。別に行くなと言われているわけではないのだから。

でもね。

帰ってきて、ぐでんぐでん、目が据わって、言うことだけは強気で、ろれつの回らない、よろよろ歩く、酒くさいばばを見るとね、がっくりくるんだよね。がっかりするというか、うんざりするというか、情けないというか。行くときは気持ちよく送り出してくれたのに、また結局飲んじゃったのか。また酒に逃げちゃったのかって。

ばばのことを想っているとかそういうのじゃなくて、それへの嫌悪感で、あれとまた向き合わないのがいやで、わたしは自分を家に封じているのかもしれない。(次回につづ…きそうな予感。)

年末・年明け・あれこれ

もうすぐおじいちゃん(ままのお父さん)の一周忌。ままの一周忌ももうすぐなのでいろいろ調べていたら、我の強い質問とその回答などにネット上でたくさん出会い、疲れてしまった。ちょっと吐き気すら…。年かしら。(それとも風邪。)

お歳暮のことなどもそろそろ。両親とも一般企業への勤めではないわが家はあまりこうしたやりとりとは縁がないのだけれど、それでも親族を中心にわずかばかりのやりとりはあります。幸い、毎年お願いしている明太子のお店から今年も(ありがたいことに昨年までの送付先の住所録までついて)カタログが届いたので、これはこの住所をそのまま継承すればいいのね。助かる。

クリスマス、ほたるはスクーターがほしいのだそう。保育園に2輪のものと3輪のものがあり、慎重派のほたるはもっぱら3輪を愛用しているようだけど、年齢からするとそろそろ3輪は卒業かなとも思い、う〜ん、検討中。また要望も変わるかもしれないしね。地元のお世話になってるおもちゃやさんから一応パンフレットだけはもらってきました。

(ここから重いです、ごめんなさい。)

うちの父(じじ)は、とても気の短い人で、半年ほど前、まだ家の中がままなきあと落ち着いていなかった折、わがままを言って聞き分けのなかったほたるをわたしがトイレに入っている間に2階へ1階へと引き摺り回しては(実際に引き摺っているわけではなく、乱暴に抱え上げて、ということだけれど)大泣きさせて、食べ物を戻させてしまった。わたしはそのやりとりをトイレで聞いていて、ほたるを助けたかったけれど、こどものときから自分もそういう怖い目にあってきたからか、身体が言うことをきかず、ただただトイレの中でことの成り行きを見守ってしまった。そして数日前、またしても、虫の居どころの悪かったじじに、ほたるがわがままを言い、1階で怒鳴られ少し乱暴に1mくらいだけど引き摺られたりしていた。わたしは今度は目の前で、怯えながら、でも心はどこか冷めたまま、ただ嵐が過ぎ去るのを待っていた。

こういうとき、ままはいつだって、わたしを守ってくれたのに。今回のほたるのように、わたしが悪かったときにだって、だからって乱暴に扱っていいわけはなく、いつも、乱暴はだめよ!暴力はだめよ!と、必死で間に割って入ってくれたのに。それなのに、わたしは。

今のじじは、わたしの小さいときに比べたら本当に丸くなって、ほたるのことはそれはかわいがっているし、乱暴に扱うと言っても、できる限り抑制しているのは見ていてもわかるのだけれど、そして、やってしまった後に何日も後悔しているのもわかるのだけれど、だけど、ほたるの身になってみれば、おそらくそれはとても心の傷になることだから。自分を守ってくれる母親がちゃんといるかどうかという、大きくなるまでの安心感にも関わってくることだろうと思うから、わたしは必死で守らなければいけないはずなのに。なのに、身体が言うことをきかなくて、自分がまた父に怒られるのがたぶん怖くって、動けなくて。昨日の夜は、そんな自分が悔しくて、悲しくて、ほたるがかわいそうで、申し訳なくて、泣きました。

前回、半年前のときには、まだ今のような新しい家族の形もできあがっていなくて、なんとも頼りない個人の集合体で。ほたるのことがあって、わたしは家を出た方がほたるのためなんじゃないかとすら思った。でもほたるに聞いたら、5人がいいと。怖くてもじじもいっしょがいいと。

今回、今はときどきはけんかしつつもようやく家族らしい形になってきていて、もう家を出て行こうとかは思わないけれど、でも、また同じようなことが起こったら、今度こそ、わたしは立ち向かわなければいけないなと思う。じじに立ち向かって。自分の中のじじが怒ったときへの恐怖に立ち向かって。そしてほたるを守らないと、だめだと。今度それから逃げたら、すごくほたるの後々まで影響が残る気がする。今度こそ、わたしが守らないと。守ってもらえるとほたるが思えないと。

日常的にこういうことがあるわけではないし、今の父よりもずっと怖かったわたしがこどもの時のことを考えても、虐待されていたというような思いはないです。今もほたるが虐待されているとは思わない。たぶん昭和世代の家庭では(極端な例としては星飛雄馬の家のような感じで)よくある父親像なのではないかと思います。だけど、よくある父親像だから、こどもに手をあげてもいいかというと、やはりそれは違うだろうと思う。少なくとも、この程度の(例えば片付けをするのを嫌がったとかそういうことで)ぶち切れて4才のこども相手に手をあげるのは違うはず。見ている母親であるわたしの足が震えるような態度は、違うはず、と思う。自分の心が否定しているのならば、足が震えても、動かない身体を無理にでも動かして、今度あったときには、わたしが手をあげられてでも、ほたるを守らなければ。

ほたる本人は…小一時間もすれば、けろっとしてじじに話しかけてるんですけどね…。

介護

最近、介護のことなんてちょっと考えてみたりします。

ままがいるときには、まぁ漠然と、世間的な寿命からいって、

 ババ(父方祖母:ただいま82才)
 じじ(父:62才)
 まま(母:62才)

という順番でお別れが来るんだろうなと思っていました。ままがババの世話をし、じじの世話もし、そしていずれはわたしがままの世話をすることになるんだろうなと。ままの世話ならいいな、温厚な性格だし、その頃になってやっとわたしなどは恩返しができるのだなと。まだそれには20年くらいは猶予があるなと思っていたんですけどね。

それが、思いがけずままが先に旅立つことになって、状況が一変しました。

ババはじじにとって母親なわけですけれども、二人はよく似た偏屈の頑固者同士。おまけに父は、昔ながらの(家のことはあまりしない)タイプですからね、もちろんババのことは気にかけていますけれど、心配している風はできるだけ見せたくない。自然、ババの世話という役目はわたしに回ってきています(父も父なりに頑張っているのでしょうけれど。)

この調子でいくと、ババの世話は(子育てしながら)わたしがし(世間の平均から考えるとあと5年くらい?)、じじの世話もわたしがし(10〜15年後くらい?)、そしてその後、ちちの世話までわたしがすることになったりするのかな(40年後ぐらい?)? また、離れて住んではいるけれど長男ですから、ちちの両親もという可能性も考えられます。

おおっ。他人事、あるいは、まだまだ先のことと捉えていたけれど、にわかにわたしの人生、介護一色になってきたような…?

自分を滅して、みなの世話をしつつ一生を終える…とか、ぜんぜんわたしっぽくないけれど、でもそんなこと言ってられないなぁ、そういう可能性もちょっとは覚悟しておいた方がいいのかもしれない。

でも、例えそうなったとしても、合間合間に、自分らしい何か(仕事でもなんでも)を挟み込んでいけたらいいなぁ。

最近思うのですけれど、
家族って、
ありがたさと、
面倒くささ、やっかいさが、
ひとまとめになったものだなぁと。