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一周忌

もう、少し間が空いてしまいましたが、3月18日にはままの一周忌をお寺さんで行ってきました。親族だけでのんびり。

 本堂でお経あげてもらって、
 敷地内のお墓にお参りして、
 おいしい精進料理食べて。

もともと無宗教なわが家。いまのお墓も、土地代無料・管理料もなし(墓石代のみ必要)、なんていう東京のお墓としてはちょっとうそみたいな条件でタウン誌などに載っていたのに応募して当たったもの。まだ誰も入っていなかったこともあり、ままのことがあるまでは、買ってから十数年間ほとんど足を運ぶこともないまま過ごしていました(2回くらいは行ったかな)。

ままのことがあった折、こうしたときにはやはりお墓のあるお寺さんにお世話になるのが筋らしいと知り、はじめてまともに住職に連絡をとり、葬儀に来てもらって。以来、ようやくおつきあいらしいおつきあいがはじまったのでしたがーー。こうしたのもなかなかいいものですね。

いいこともわるいことも、自分に関わることには自分で責任を負う。そうした(無宗教的な)考えは今も変わることはないのですが、歴史を重ねたものにはどれもなにかしらの意味があるという考えもわたしにはあって。宗教心が芽生えたわけではなく、これからもたぶん芽生えることはないだろうと思うのですが、それでも決まった儀式やら作法やらを興味深く、好意的に眺めている自分がいます。

どのお寺さんでもそうだったか、というとそうではないのかもしれません。

 若くて(わたしより下)社会に出たこともある住職(前住職の次男坊)。
 きれいに手入れされた石庭と木々と、清しいたたずまいの本堂(禅寺)。
 おかみさん(住職のお母さん)たちのつくるおいしい精進料理。

おしつけがましくなく、それでいて何か考えさせられる、そんないいお寺さんに出会えたのは幸いでした。

21日、本当の一周忌には、家でケーキを食べました。一周忌にケーキを食べるというのはどんなもんだろうと自分たちでもおかしいのですが、ま、甘いものの大好きだったままなのでいいかなと。

一年、あれやこれやありましたが、あっという間でした。家の様子はだいぶ落ち着きましたが、仕事の方はまだ半分も復活できておらず。そろそろこちらはもう本当にどうにか判断をしないとと思っています。このタイミングを逃すとまたずるずるといってしまいそうですからね。

毎日いろいろあるけれど、なんとかわたしは元気です。

今年の目標 in 2007

早、2月に入ってしまいましたが(いや、入ってしまったからこそ)ぼんやり思っていた今年の目標を書き出してみようと思います。

 ・プライベート用の名刺をつくる
   (保育園用・ブログ用)
 ・料理のレパートリーをもう少し増やす
   (3つくらい(え))
 ・もうちょっと開放的な気持ちになれるようにする
   (家族にしばられすぎず、ときどきは出かけたり)
 ・あちこちにハガキを書く
   (できれば外に出て喫茶店とかで!)
 ・刺し子をはじめる
   (昨年につづき、もちょっと手仕事を)

ちっさ! でもいいんです。まだ今年は自分の中では(ままのことからの)回復期と捉えています。あともうしばらくは、のんびりのんきに、できれば前向きに。あ、でも、そうだ、少し大きな目標も。自分の年齢&ほたるとの年齢差を考えると、そろそろ、これも。

 ・2人目をつくる〜

まぁこればっかりは授かりものですから、やってきてくれるのを待つばかりなわけですが、じじばばのこと(じじばばの気持ちや体)を考えても、もう少し遅いよりは、今の方がいいかもしれないな、と思う近頃です。

仕事の方も、今年は1つ2つ(昨年決めきれなかった事柄への)決断ができるといいなと思います。

新しい家族体制での2年目。できるだけ無理はしすぎず、肩の力を抜いて、のんびり、ゆっくり、進んでいこう。

あけまして。

あけましておめでとうございます。

昨日、帰省先より戻ってきました。今年は年賀状を書くことはしませんでしたが、喪中はがきも出しませんでしたので、懐かしい人たちからいくつか年賀状が来ているのをうれしく読みました。これからひとつひとつ返事を書いていくつもりです。

ことしの目標は、自分に責任を持って、責任転嫁をしないこと。

言い訳がましい自分を少しでも変えられたらなと。飲み込むべきときには、それが自分にとって苦い内容であっても、吐き出さずに飲み込む。いちいちいちいち吐き出す、言い返すのではなくて、飲み込んで消化できるようにする。

これはわたしのかなり根本的な部分なので、すぐに変えるのはむずかしいだろうし身につくまではストレスも大きいだろうけれど、飲み込むことが苦痛でなくなってくれば、子育てや家族関係でのストレスはきっと減るはず。

これまでは、ままという恒星のまわりを回る惑星にすぎなかった(だから好き放題だった)わたしだけれど、もうこれからはそうはいかないのだから。もっと懐が深くならないと。被れる部分は被って、許せる部分は許して。ままのいいところをいっぱい想い出して、まねして。

うー。むずかしいなー。でもがんばるぞー。

ババと台所

毎日、夕方から、ババと台所に立っています。

何もすることがなくて(時代劇チャンネル見て、お酒を飲むことくらいしかやることがなくて)このままではあっさりぼけてしまいそうなババに、会話と、やることを提供するために。そして、ままから教われなかった料理の知識をわたしがババから教わるために。

味覚も視力も食事への熱意も最近ではあまりなくなってしまったババに主要部分をまかせるのはもはやちょっと難しいかなと思って(本当はその辺りを任せるのがいちばんのボケ防止かなとも思うのだけれど)、実際にはこれ切って〜あれ洗って〜と簡単な下ごしらえを手伝ってもらっているくらいだけれど、それでも学ぶことは多い。この野菜はしばらく水につけてあく抜きしておく、だとか、これは茹でた後にすぐ水にさらした方がいい、だとか。料理の本に載っていないそんな小さな知識を仕入れられるのはとてもありがたい。

なにより、ババと台所に立つようになって、初めて知ったことなのだけれど、ふたりで台所に立つのって、楽しい!

おしゃべりと。
互いの手を見ながらの連携と。
二倍のスピードでできあがっていく料理と。

こんなに楽しいことならば、ままとも一緒に台所に立てばよかったなぁ。ひとりで立ってもふたりで立ってもどうせ同じだと思っていたけれど、こんなに違うものなんて。娘とふたり台所に立つこと、ままも憧れていたのではないかなぁ。ようやく退職して、ままにも時間の余裕ができて。わたしも同じ家にいて。もったいないことしたなぁ。

母と娘、湯布院あたり行きたかったとか、ランドセルいっしょに選びたかったとか、ほたるがもちょっと大きくなったらケーキバイキングに行きたかったとか、いろいろ、いろいろ、あるけれど、でも今ならいちばんやりたいのは、いっしょに台所に立つことかもしれないなぁ。

なんでだろう

ババがお酒を飲む度、飲む酒がなくなって酒屋さんに配達してもらう度、
こんなにへどが出そうなほど気持ちが悪くなるのはなんでなんだろう。

数日前、かつての仕事の仲間からはがきが来て。
お父さんが9月になくなったと知りました。
性格は正反対のわたしたちなのに、
こんなところばっかり似てしまうなんてなんでなんだろう。

みんなにがんばれがんばれと言われて、
崩れ落ちてしまいそうになったとき、
わたしは、イギリスにいるホストマザーを想いました。
彼女なら、家族の誰でもない、わたしだけを心配してくれて、
甘えさせてくれるだろう、そう思えて、気持ちが落ち着きました。
手紙もしばらく書いてない、不義理もいいところの日本の娘だけれど。

お父さんをなくしたばかりの、わたしの友だちにも、
そういう、想うだけで少しは気持ちの落ち着く、
誰かがいるといいのだけれど。いますように。