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夏休みあれこれ

細かなあれこれ。

この夏は、ちちの妹のところに3人目の赤ちゃんが生まれ、そちらが実家に戻っていたので、夏冬恒例の(ちち実家への)里帰りはお休み。代わりに山梨に行ってきました。あまり日数がなかったこともあり、プールに行ったり、馬に乗ったり、いつもの場所でいつものことを。

盆踊りは東京にて2回参加。いずれもそろそろ恒例になりつつ。ままの大好きだった盆踊り。供養を意識しているわけではないけれど、結果的には供養にもなっているような。気のせいかな。おかげでまだ2回目のお盆だというのに、本来お盆にするべき(だろう)ことはすっかり忘れてすっ飛ばしてしまいました。墓参りなし。迎え火なし。送り火なし。ナスもキュウリもなし。

花火大会も行きました。結婚当初、ちちと行ったことのある立川の花火大会。ほたるが生まれてからははじめてです。多少は下調べして準備してった前回と異なり、今回ははなから途中参加のつもりでのんびり参加。開始前に所定の場所につけなかったため、混んじゃって混んじゃってなかなか進めない。こどもの足では遠いこともあり。結局それなりにウロウロした結果、駅そばの橋で眺めました。来年以降もここにしよう。

和食好き、魚好きのほたる。魚が苦手なわたしよりよほど上手に魚を食べるので安心していたら、先週、骨をのどにつまらせる。気づかず飲み込んだのではなく、骨おいしい、と言いつつ食べていた直後のこと。あわててごはんを飲み込ませたけど、あれ、あまりよくないみたいですね。うまくとれる場合もなくはないけど、さらに奥に刺さる場合の方が多いとか。知らなかった。翌日、耳鼻咽喉科へ。扁桃腺の裏側にそれらしきものが見えるとのこと。いいお医者さんだったけれど、設備的にそれ以上は難しいということで、大きい病院に行くよう勧められる。紹介状もって。あ〜あ、と思いつつ、次の日行くと、鼻から内視鏡を入れられてノド確認。骨見つかる。医者と看護婦4人がかり(わたしいれて5人)でほたるを押さえつけ、鼻経由で骨をとる。川崎病以来、本当にかわいそうなくらい医者に慣れてしまったほたるだけれど、さすがに辛かったらしく「やめて、もうやめて、もう無理なの、本当に無理」と言い続ける。かわいそう。切ない〜。医者の技術もあまり高くなく。ふぅ。でも最終的にはなんとかとれました。大きさ3cmほど。そのうち2cmが埋まってたらしい。とれたことはよかった。切なかったけど。医者の腕、わるかったけど。

じじ、風邪をひく。男ってのがみんなこうだとは思わないけれど、普段は、頑固な昭和の父風な父だけど、風邪をひくと、もう大変。世界中の風邪をひとりでひいたかのごとく、おおげさにふるまう。そのくせ、ごはん時になるとしっかりビールは飲む。いや、アルコール飲めるうちは全然たいしたことないから! と心でツッコミつつ(口にも出しつつ)多少は消化のよさそうなものをつくる。でも長引いたのは今回確かだな。3週間くらいかかりました。その間、またババが飲み過ぎてすっころんでたんこぶつくったりしつつ。この夏は、怪我や病気の絶えないわが家でした。

夏の後半、天気が悪く、とたんに洗濯物がたまるようになってしまったので、1年ほど前、買って2年ほどで乾燥機能がイカれてしまった三菱の洗濯乾燥機を修理依頼する。電器屋さん泣かせのものもちのいいわが家なんだけどなぁ。雨の日とかに普通に使ってただけなのに2年で壊れるってどうなのよ。ちょっと不信。修理は今週末。安く簡単に直るといいけれど。

ほたるが保育園の調理実習で教わってきた夏野菜カレー。今年はほたるとちちが中心になって3回も家でつくってくれました。カボチャ、ナス、ピーマン、ニンジン、タマネギ、豚ひき。牛肉とタマネギだけのカレーが定番だったわが家だけれど、こういうのもいいものだね〜。つくってもらえるありがたさも手伝っていつもおいしかった。でもこれもそろそろ打ち止め。次カレーをつくるときはたぶんキノコたっぷりの秋カレー?

近所の友だちを誘って花火もする。これはつい昨日のこと。残っていた花火をやっと天気がなんとか回復した昨日やっちゃおうってことに急遽なって、近所に住む保育園の友だちや、近所のこどものいるお宅などに声をかけて一緒にやる。結局、4家族、こども7人。夏休みの最後にふさわしい(ような気がする)締めくくりでした。ま、保育園なので、あまり夏休みも関係ないんだけどね。

1st(トロル♀プリースト)がBGのためにずっとlvl39に留まっていたwowは、ついに2ndが本格発進しました。いろいろな種族でいろいろな職業を試しては、続かないできたけれど〜。今回はうまく育ってます。1stと同じトロル♀(結局、これが一番しっくりくるみたい)のウォリアーです。ウォリアー。結構仲間に意外な顔をされましたが。sword…かっこいいんだもん。使ってみたかったのです。回復がないと心許ない性格なので、本当はパラディンがよかったのだけど。トロルはパラディン選べないので仕方なく。でも楽しんでます。ただいまlvl29。こちらがBG射程に入ったので、1stもついに動き出しました。1stはただいまlvl43。

そんなこんなのぼくのなつやすみ。

ぎすぎす

今朝、こわい夢を見たとかでいつもより早く目を覚ましたほたる。(わたしもまだ寝ぼけていたので)ひとりでトイレに行って戻ってきて、二度寝。それがよくなかったなぁ。

二度寝するには少し時間が短く、結局いつもの時間に起こしても、いつも以上にぼんやり。わたしに急かされて急かされて、ちょっと甘えたくなったところをはねのけられて、泣きながら自分でやり、ようやく少し落ち着いてさぁ出発と思ったら、タイミング悪く玄関に人がいたため腰を曲げてかがんだら急に吐き気をもよおして、あわてて洗面所に走らされてそこで戻す。少し落ち着いたのを見て、ほたるの大事なはらぺこあおむしのグラスに水を入れて、そこでうがい。口をスッキリさせ、そのままそのコップで汚れたシンクに水をかけて流していたら、うっかりわたしの手がすべり、大事にしていたグラスがシンクの中でこなごな。落ち着きつつあったほたる、再び今度は悲鳴のような大泣き。さきほどからイライラがしていたじじ、ついに怒声。

ああ〜、もう!!!

最初のとき、二度寝させずに、わたしがちゃんと起きてしまえばよかったな。そうすれば早寝早起きのいいきっかけになったのに。結局、わたしが夜遅くまで起きていて朝起きられないのが、ほたるの早寝早起きも阻害してるんだよね。それは反省。wowもほどほどにしなくっちゃ。二度寝していなければ、ほたるももう少しちゃきちゃき動けて、わたしに急かされることもなくて、吐くこともなくて、グラスが割れることもなかったんだよね。いろいろ不運が重なったとは言え、まるきり原因のないことじゃない。やはり反省。

(ここからはものすごくグチなのでできればご覧になりませんように。)
(できるだけグチは書かないように心がけていますが、今日だけはお許しを。)

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年末・年明け・あれこれ

もうすぐおじいちゃん(ままのお父さん)の一周忌。ままの一周忌ももうすぐなのでいろいろ調べていたら、我の強い質問とその回答などにネット上でたくさん出会い、疲れてしまった。ちょっと吐き気すら…。年かしら。(それとも風邪。)

お歳暮のことなどもそろそろ。両親とも一般企業への勤めではないわが家はあまりこうしたやりとりとは縁がないのだけれど、それでも親族を中心にわずかばかりのやりとりはあります。幸い、毎年お願いしている明太子のお店から今年も(ありがたいことに昨年までの送付先の住所録までついて)カタログが届いたので、これはこの住所をそのまま継承すればいいのね。助かる。

クリスマス、ほたるはスクーターがほしいのだそう。保育園に2輪のものと3輪のものがあり、慎重派のほたるはもっぱら3輪を愛用しているようだけど、年齢からするとそろそろ3輪は卒業かなとも思い、う〜ん、検討中。また要望も変わるかもしれないしね。地元のお世話になってるおもちゃやさんから一応パンフレットだけはもらってきました。

(ここから重いです、ごめんなさい。)

うちの父(じじ)は、とても気の短い人で、半年ほど前、まだ家の中がままなきあと落ち着いていなかった折、わがままを言って聞き分けのなかったほたるをわたしがトイレに入っている間に2階へ1階へと引き摺り回しては(実際に引き摺っているわけではなく、乱暴に抱え上げて、ということだけれど)大泣きさせて、食べ物を戻させてしまった。わたしはそのやりとりをトイレで聞いていて、ほたるを助けたかったけれど、こどものときから自分もそういう怖い目にあってきたからか、身体が言うことをきかず、ただただトイレの中でことの成り行きを見守ってしまった。そして数日前、またしても、虫の居どころの悪かったじじに、ほたるがわがままを言い、1階で怒鳴られ少し乱暴に1mくらいだけど引き摺られたりしていた。わたしは今度は目の前で、怯えながら、でも心はどこか冷めたまま、ただ嵐が過ぎ去るのを待っていた。

こういうとき、ままはいつだって、わたしを守ってくれたのに。今回のほたるのように、わたしが悪かったときにだって、だからって乱暴に扱っていいわけはなく、いつも、乱暴はだめよ!暴力はだめよ!と、必死で間に割って入ってくれたのに。それなのに、わたしは。

今のじじは、わたしの小さいときに比べたら本当に丸くなって、ほたるのことはそれはかわいがっているし、乱暴に扱うと言っても、できる限り抑制しているのは見ていてもわかるのだけれど、そして、やってしまった後に何日も後悔しているのもわかるのだけれど、だけど、ほたるの身になってみれば、おそらくそれはとても心の傷になることだから。自分を守ってくれる母親がちゃんといるかどうかという、大きくなるまでの安心感にも関わってくることだろうと思うから、わたしは必死で守らなければいけないはずなのに。なのに、身体が言うことをきかなくて、自分がまた父に怒られるのがたぶん怖くって、動けなくて。昨日の夜は、そんな自分が悔しくて、悲しくて、ほたるがかわいそうで、申し訳なくて、泣きました。

前回、半年前のときには、まだ今のような新しい家族の形もできあがっていなくて、なんとも頼りない個人の集合体で。ほたるのことがあって、わたしは家を出た方がほたるのためなんじゃないかとすら思った。でもほたるに聞いたら、5人がいいと。怖くてもじじもいっしょがいいと。

今回、今はときどきはけんかしつつもようやく家族らしい形になってきていて、もう家を出て行こうとかは思わないけれど、でも、また同じようなことが起こったら、今度こそ、わたしは立ち向かわなければいけないなと思う。じじに立ち向かって。自分の中のじじが怒ったときへの恐怖に立ち向かって。そしてほたるを守らないと、だめだと。今度それから逃げたら、すごくほたるの後々まで影響が残る気がする。今度こそ、わたしが守らないと。守ってもらえるとほたるが思えないと。

日常的にこういうことがあるわけではないし、今の父よりもずっと怖かったわたしがこどもの時のことを考えても、虐待されていたというような思いはないです。今もほたるが虐待されているとは思わない。たぶん昭和世代の家庭では(極端な例としては星飛雄馬の家のような感じで)よくある父親像なのではないかと思います。だけど、よくある父親像だから、こどもに手をあげてもいいかというと、やはりそれは違うだろうと思う。少なくとも、この程度の(例えば片付けをするのを嫌がったとかそういうことで)ぶち切れて4才のこども相手に手をあげるのは違うはず。見ている母親であるわたしの足が震えるような態度は、違うはず、と思う。自分の心が否定しているのならば、足が震えても、動かない身体を無理にでも動かして、今度あったときには、わたしが手をあげられてでも、ほたるを守らなければ。

ほたる本人は…小一時間もすれば、けろっとしてじじに話しかけてるんですけどね…。

介護

最近、介護のことなんてちょっと考えてみたりします。

ままがいるときには、まぁ漠然と、世間的な寿命からいって、

 ババ(父方祖母:ただいま82才)
 じじ(父:62才)
 まま(母:62才)

という順番でお別れが来るんだろうなと思っていました。ままがババの世話をし、じじの世話もし、そしていずれはわたしがままの世話をすることになるんだろうなと。ままの世話ならいいな、温厚な性格だし、その頃になってやっとわたしなどは恩返しができるのだなと。まだそれには20年くらいは猶予があるなと思っていたんですけどね。

それが、思いがけずままが先に旅立つことになって、状況が一変しました。

ババはじじにとって母親なわけですけれども、二人はよく似た偏屈の頑固者同士。おまけに父は、昔ながらの(家のことはあまりしない)タイプですからね、もちろんババのことは気にかけていますけれど、心配している風はできるだけ見せたくない。自然、ババの世話という役目はわたしに回ってきています(父も父なりに頑張っているのでしょうけれど。)

この調子でいくと、ババの世話は(子育てしながら)わたしがし(世間の平均から考えるとあと5年くらい?)、じじの世話もわたしがし(10〜15年後くらい?)、そしてその後、ちちの世話までわたしがすることになったりするのかな(40年後ぐらい?)? また、離れて住んではいるけれど長男ですから、ちちの両親もという可能性も考えられます。

おおっ。他人事、あるいは、まだまだ先のことと捉えていたけれど、にわかにわたしの人生、介護一色になってきたような…?

自分を滅して、みなの世話をしつつ一生を終える…とか、ぜんぜんわたしっぽくないけれど、でもそんなこと言ってられないなぁ、そういう可能性もちょっとは覚悟しておいた方がいいのかもしれない。

でも、例えそうなったとしても、合間合間に、自分らしい何か(仕事でもなんでも)を挟み込んでいけたらいいなぁ。

最近思うのですけれど、
家族って、
ありがたさと、
面倒くささ、やっかいさが、
ひとまとめになったものだなぁと。

最近のわが家

さみしさを紛らすために昼間から酒を飲んでしまうババと、そのことが我慢できない父。そんな構図が母なき後1-2か月つづき、親子なだけに怒鳴り合いに発展することもしばしばでしたが、最近は父にもババを思いやる気持ちの余裕が出、関係は修復に向かっています。

それに替わるようにして、このところ頭が痛いのが、ほたるとババ、そして父の関係。

自分でやりたい、思ったのと違うことを人がすると腹を立てる、以前よりもピリピリとかんしゃくっぽく怒るようになったほたる。特に、なぜか、その態度がババに対してひどく、悩みの種です。

確かに年のせいで随分と忘れっぽくなっているババ。さらに目も耳も弱ってきているため、ほたるの思っていることと違うことをしては、ほたるの怒りを買うこともしばしばで、まぁそれはそれでわかるのですが…。そうではないときにも、近頃では、最初からケンカ腰でババに応じることが多く、困っています。

ほたるがババに生意気な態度をとる。決してのんびりしている方ではないババも、こどもはこれで3代目ですから、こども相手にそう簡単に怒りはしません。そこでほたるが態度を変えればいいのですが(前なら機嫌を直していたと思うのですが)、最近ではなぜか収まらず、まだ生意気な態度をとりつづける。ババもさすがに怒る。怒って自分の部屋に戻ってしまう。(その間、わたしは夕飯の支度に追われている。)

この場にいるのがこのメンバーだけならば、まぁ、ババが部屋に戻ってしまい、泣いたほたるが取り残される、くらいな感じで済むのですが…。問題は、父がこの場にいた場合。短気で厳しい父。3才のこどもが、自分の母親に対してそういう態度をとることなど許せません。手こそ上げないものの(わたしがこどものときは何度か上がりましたけどね)、大声で怒鳴り、泣きすぎたほたるが食べたものを戻したりして、家の中はまぁ、修羅場のような状況に。

いけないのは、確かに、ほたるなのです。自分でも「ババにいじわるをしている」ことは認識しているようです。だからわたしもごはんの支度をしながら、ひどい状況になる前にできるだけ事態を収拾しようと、ババとほたるの間に立って、おさめようと努力はします。けれど、父のごはんを遅らすわけにはいかないので、完全に手を止めてじっくり時間をかけてつき合うことができない。

ババだって父だって、本来、ほたるにメロメロになっている人たちですから、ほたるがそんな態度さえとらなければ、こういう事態にはならないのに。なんでだろう。なにが原因なんだろう。なにがほたるにそうさせているんだろう。

 新しい保育園のせいかな。
 ままのいない家の中がぎすぎすしているからかな。
 少し前のじじとババのやりとりをまねているんだろうか。
 それとも、ただのこの時期の年齢のものなのか…。

ほたるを守りたいのに、ほたる自身が自分でこの状況の種を蒔いている。そして原因が特定できない。このところの悩みでした。