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やりたいこと、やらなきゃいけないこと

やりたいことのメモ。

年末で辞めてしまう、お世話になっていた美容師さんにあいさつに行きたい〜。けど、きょう行けなかったから、もう難しいかな…。きょうで保育園は最後。あしたからはほたるがいます。ほたるもそこでお世話になってたから、一緒に行くということはできるけれど。行けるかな、明日。

国分寺に台所用品買いに行きたい〜。紀伊國屋書店の文具売場(店長さんが誠実でよかったのだけれど、なくなってしまって残念)跡にできた、新しいキッチン雑貨のお店。コンランに栗原はるみをプラスしたような、シンプル+ウォーム+スタイリッシュな感じのお店(有名なお店なのでしょうか)。このあいだ初めて覗いたら、前から探していた、スリムな食器かご(洗ったものを伏せておくかご)と、集成材ではないコンパクトなセカンドまな板のかなりイメージに近いものがあったので、また改めて今度は1人でゆっくり見に行きたいなと。これはまあ年明けでok。

半年くらい前からぼんやりと痛い(鈍痛)右手人差し指と左手親指の関節。へんな病気だといやだから、一度、整形外科に行きたい。あと、来年こそは人間ドック。市の補助もらいつつ。それから、ほたるとわたしの歯科と、ほたるの川崎病定期検診と。あー。病院だらけ…。

それからそれから、Moleskineの1日1頁ダイアリー3冊目。今年はamazonも大量に仕入れたのか値段の変動がなく。年明けたら下がるかな〜とせこく待っています。下がってても下がってなくても、年が明けたら買わないと。

あとは、来年は、仕事にもうちょっと復帰したい。それから、刺し子をはじめたい。最近、なんとはなしに、ぽつぽつやるようになった手芸だけれど(まさかわたしが手芸とはね。でもままなき後、なぜかやるようになりました。必要なものもそうでないものも。手芸というより手仕事という方が自分に合ってるかな、職人さんには昔から憧れるているし)、刺し子はもしかして自分にとっての究極の手芸なのではという気がしている。ちがうかもだけど。なんとなく。幾何学模様だし。ちがうかな。

ちちのネックウォーマー用毛糸も買いに行かねば。細い毛糸で、ちくちくしないウールで、青灰系マルチカラーにしようと思ってます。

今、思いつくのは、それくらい。あ! お礼の手紙を書かなきゃいけない人たちもたくさん〜。あああ〜。

ただいま

おつかいから戻ってきました。予定通り、本屋さんと雑貨屋さんにも寄ってきました。本屋さんでは、雑誌をふたつ。今まで何度も手に取りつつも、買うに至らなかったクウネルとリンカラン。やっと買いました。似た系列もとても増えていますね。また少しずつ気が向いたら試してみよう。それから、本を一冊。おーなり由子さんの暦の本。

ままがいなくなってから、ずっと、ネットなどで浅い情報を拾いはしてきたけれど、本を手に取るところまではなかなかいかなかった。頭で理解する情報はそれほど苦にならなくはなってきていたけれど、感情にうったえるような文字は、まだ、ちょっと、きつい気がして。

きょう、本をようやく自分で購入したというのは、理解するというよりは、感じるタイプの本を読んでみようと思えたということは、またちょっとだけ前に進めたのかもしれない。

ほんとは、最初は、暮しの手帖社のすてきなあなたにという本を探していて。地元の本屋さんだから(いい本屋さんだけれど)ないだろうなと思っていて、やはりなくて。それでもふらふら棚を見ていたら、ぱっと目に飛び込んできたのが、おーなりさんの本で。

 あ、これだ、

と。暦、好きなのです。写真を撮るようになってから。こどもが生まれてから。ままがいなくなってしまってから。もっと若い頃よりも、季節を肌で感じられるようになってきたのかな。1日ずつ、おーなりさんの小さなエッセイの入ったこの本はとてもやさしく感じられて。今のわたしでも読めそうな気がして。

あとがきを立ち読みしたら、おーなりさんも数年前にお父さんの余命を告げられて、とありました。今も元気でいらっしゃるのか、それはわかりませんが、もともとやさしくやわらかい文章を書かれるおーなりさんの本の中でも、これはとりわけそうであるのかもしれない。

またあとでゆっくり開いてみたいと思っています。

ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記
おーなり 由子
新潮社
売り上げランキング: 3798

やわらかい紙でできた、ぽってりとした、こぶりで厚みのあるやさしげな本です。今、アマゾンのレビューを見たら、すてきなあなたにのことを書かれている方がいらっしゃいました。同じように感じられる方、いるのだなぁ。

小さなエッセイがあって、下の方に脚注のような感じで、その日についての客観的な記述(きょうは何の日というような)があって、さらにそれに、おーなりさんのコメントがつけられていて。手元に置いておきたい。そしてできれば自分でも(ノートなどでもいいから)こんなものをつくってみたいなぁと思わせる、そんな本です。

年末・年明け・あれこれ

もうすぐおじいちゃん(ままのお父さん)の一周忌。ままの一周忌ももうすぐなのでいろいろ調べていたら、我の強い質問とその回答などにネット上でたくさん出会い、疲れてしまった。ちょっと吐き気すら…。年かしら。(それとも風邪。)

お歳暮のことなどもそろそろ。両親とも一般企業への勤めではないわが家はあまりこうしたやりとりとは縁がないのだけれど、それでも親族を中心にわずかばかりのやりとりはあります。幸い、毎年お願いしている明太子のお店から今年も(ありがたいことに昨年までの送付先の住所録までついて)カタログが届いたので、これはこの住所をそのまま継承すればいいのね。助かる。

クリスマス、ほたるはスクーターがほしいのだそう。保育園に2輪のものと3輪のものがあり、慎重派のほたるはもっぱら3輪を愛用しているようだけど、年齢からするとそろそろ3輪は卒業かなとも思い、う〜ん、検討中。また要望も変わるかもしれないしね。地元のお世話になってるおもちゃやさんから一応パンフレットだけはもらってきました。

(ここから重いです、ごめんなさい。)

うちの父(じじ)は、とても気の短い人で、半年ほど前、まだ家の中がままなきあと落ち着いていなかった折、わがままを言って聞き分けのなかったほたるをわたしがトイレに入っている間に2階へ1階へと引き摺り回しては(実際に引き摺っているわけではなく、乱暴に抱え上げて、ということだけれど)大泣きさせて、食べ物を戻させてしまった。わたしはそのやりとりをトイレで聞いていて、ほたるを助けたかったけれど、こどものときから自分もそういう怖い目にあってきたからか、身体が言うことをきかず、ただただトイレの中でことの成り行きを見守ってしまった。そして数日前、またしても、虫の居どころの悪かったじじに、ほたるがわがままを言い、1階で怒鳴られ少し乱暴に1mくらいだけど引き摺られたりしていた。わたしは今度は目の前で、怯えながら、でも心はどこか冷めたまま、ただ嵐が過ぎ去るのを待っていた。

こういうとき、ままはいつだって、わたしを守ってくれたのに。今回のほたるのように、わたしが悪かったときにだって、だからって乱暴に扱っていいわけはなく、いつも、乱暴はだめよ!暴力はだめよ!と、必死で間に割って入ってくれたのに。それなのに、わたしは。

今のじじは、わたしの小さいときに比べたら本当に丸くなって、ほたるのことはそれはかわいがっているし、乱暴に扱うと言っても、できる限り抑制しているのは見ていてもわかるのだけれど、そして、やってしまった後に何日も後悔しているのもわかるのだけれど、だけど、ほたるの身になってみれば、おそらくそれはとても心の傷になることだから。自分を守ってくれる母親がちゃんといるかどうかという、大きくなるまでの安心感にも関わってくることだろうと思うから、わたしは必死で守らなければいけないはずなのに。なのに、身体が言うことをきかなくて、自分がまた父に怒られるのがたぶん怖くって、動けなくて。昨日の夜は、そんな自分が悔しくて、悲しくて、ほたるがかわいそうで、申し訳なくて、泣きました。

前回、半年前のときには、まだ今のような新しい家族の形もできあがっていなくて、なんとも頼りない個人の集合体で。ほたるのことがあって、わたしは家を出た方がほたるのためなんじゃないかとすら思った。でもほたるに聞いたら、5人がいいと。怖くてもじじもいっしょがいいと。

今回、今はときどきはけんかしつつもようやく家族らしい形になってきていて、もう家を出て行こうとかは思わないけれど、でも、また同じようなことが起こったら、今度こそ、わたしは立ち向かわなければいけないなと思う。じじに立ち向かって。自分の中のじじが怒ったときへの恐怖に立ち向かって。そしてほたるを守らないと、だめだと。今度それから逃げたら、すごくほたるの後々まで影響が残る気がする。今度こそ、わたしが守らないと。守ってもらえるとほたるが思えないと。

日常的にこういうことがあるわけではないし、今の父よりもずっと怖かったわたしがこどもの時のことを考えても、虐待されていたというような思いはないです。今もほたるが虐待されているとは思わない。たぶん昭和世代の家庭では(極端な例としては星飛雄馬の家のような感じで)よくある父親像なのではないかと思います。だけど、よくある父親像だから、こどもに手をあげてもいいかというと、やはりそれは違うだろうと思う。少なくとも、この程度の(例えば片付けをするのを嫌がったとかそういうことで)ぶち切れて4才のこども相手に手をあげるのは違うはず。見ている母親であるわたしの足が震えるような態度は、違うはず、と思う。自分の心が否定しているのならば、足が震えても、動かない身体を無理にでも動かして、今度あったときには、わたしが手をあげられてでも、ほたるを守らなければ。

ほたる本人は…小一時間もすれば、けろっとしてじじに話しかけてるんですけどね…。

思いつくままに

このところ、風邪が完全に治らず、毎日これくらいの時間にちょっとしんどい。3時から5時ぐらい。身体がだるい。ちょうどごはんつくるくらいの大事な時間なのにね。

最近、目が悪くなったなーと感じる。ひどい近視なのはもとからだけど、それがさらに進んでるぽいなーと。ゲームをめちゃめちゃやっていた時期にも、自分で「おお今急速に視力が悪くなってるな」とか感じたことはないから、そう感じる今はきっとよっぽどにちがいない。そしてそれはおそらく、携帯で(しかも夜暗いベッドの中とかでふと)webにアクセスしちゃったりしてるからなんだろうな。暗い中で、携帯を長く見るのは、かなり目に負担になってる気がしますよ。(やめないとね。)

来年の手帳は、前にも書いたけれど、またモールスキン1日1頁の予定。今年の手帳は、ままの前と後ではもうぜんぜん書き込みの量がちがって、見る度に悲しくなる。ままがいなくなってしまった日にはブックダーツが打ってあるのだけれど、ああ、この日までは、なんの不自由もない幸せな(その当時はなにも感じずにそれが当たり前だと思っていたけれど)日々だったのだなぁと、どうしてそれがもっと長く続かなかったのかと、どうしてこういうことになってしまったのかと、年に1週間でもいいから、あのしあわせな日がまたこれからも戻ってきたらいいのにと。

ままに頼りきりだった家のこと、家族みんなでなんとかこなしているよ。抜けてるところもあるけど。今ままが帰ってきたらきっとおどろくだろうね。あのじじがみんなのために朝ごはんをつくってるなんてさ。夕飯はわたしとババで力を合わせてつくっているよ。ほたるだって洗濯たたむのとか、ときどき手伝ってくれるよ。ゴミ出し当番はちちがやってるよ。今帰ってきたら、ものすごく楽をさせてあげられるのにな。帰ってこないかな。ああ、でも帰ってきたら、また元の木阿弥、結局ままに甘えちゃうのかもしれないけれどね。

WPに移ってから、どのくらいの人がこれを読んでくれているのかわからないけれど、mixiへはほとんど書き込まなくなってしまった。あちらに書いた方がいろいろ返事がもらえるのはわかっているけれど、バックアップはとっているにせよ、なんていうか自分のものとして残らないのは悔しくてさ。自分の文章も、もらったコメントも。ここを読んでいる方は、気楽にここへもコメントしてくださいね。

mixiからは、完全脱出とまではいかなくても、抜け出したくて、でもその代わりとなるものはまだ見つかってません。voxも、MySpaceも、GREEも(ああ、今日からEZ GREEがはじまりました。よく読まないで携帯から同意ボタン押しちゃったけど、auに渡している個人情報とGREEに書いている内容を合わせられたら、結構な情報を取られてしまうなぁとちょっとしまった感あり。EZ GREE自体は、大したことない感じ。はじめてsnsをやる、特に携帯からのみのユーザなどにはいいかもしれないけれど、これまでもモバイルでGREEを触っていた者からすると、あまり興味のない(どちらかというと若い子向けの)機能がいくつかついたんだな、くらいな感じ)、Y!Daysも、どこへも特にまだ落ち着けていない。

ああ、いや、この自分のところに落ち着きすぎているんだな。リンクとかrssとかで(snsでなくても)友だちとはつながれるわけだし(blogなどを持っているリアル友だちがまだほとんどいないという問題はあるにせよ)、WPで全体公開のほか、記事ごとにパスワードもかけられる。

あちこち記事を散らばらすほどには、つまり例えばカテゴリごとにblogを分けるほどには内容のある日記でもないし、どこかにまとめたいと言うならば、自分で管理ができ、使いたい機能もある、ここ、よめいりがいちばんしっくりくるのだよなぁ。

つまり、少なくともわたしにはここさえあれば、特にsnsはいらないということになるのかなぁ、でもsnsという仕組みにはあいかわらず興味はあるのだよね。これからも登録だけはあちこちしてしまい、その都度、なにかに使えないか悩むのでしょう(そして結局なににも使えないままなのでしょう)。

でも、そうだ、おとといくらい、半年くらい返事を出せていなかったタイの友だちからメールが来て、その返事を書きつつ、ああ、外国の友だちとMySpaceとかでつながるのはアリなのかもしれないなぁと。でも今さらこことは別にしかも英文で書けるかな…日記。やっぱ無理か。

そんなこんなのうちに、今までなんとなく避けてきたはてなダイアリーにちょっと興味を持ったり、地元のファーストフードに無線LANが入ったことを(たった今メールで)知ったり、今週は町内のゴミ掃除当番だから、毎日かさこそゴミ置き場周辺の枯れ葉を掃除したり、気持ちのいい秋の天気がつづくので、毎日1枚ずつベランダで布団を干していたり。

日々はすぎていきますね。

秋は気持ちがいいなぁ。生まれ月ということもあり肌になじみます。

秋にいろいろ

髪を切ってきました。ほたるがまた少し伸ばすので、わたしもひさしぶりに伸ばしてみるかな〜と頑張っていましたが、ショートに慣れてしまった身には辛抱たまらず、やっぱり切ってしまいました。すがすがし〜。

帰りにダッシュでしたが、ブルーナモスに寄ってきました。以前できたばかりに寄ったときには、内装が違うくらいしか気づきませんでしたが、実はさりげなくオリジナルな点が多いのかもしれません。内装は白+白木+ガラスの明るい感じ。壁にはブルーナの絵(ミッフィーではありません)。食器は紙ではなく、陶器やステンレスやガラス(トレーも木製)。メニューも(以前気づかなかっただけなのか)デザートが随分と充実していました。姉妹店のデザートを導入しているそうで、ケーキ類がたぶん普通のモスのもの+10種類くらい。あと、ちゃんと見てくるの忘れましたが、確かブルーナモスではアルコール類も出すのだったかな? 店内中程にトイレがあるのですが、これもバリアフリーな仕様。トイレを挟んで入口側と奥にある客席の、奥の方にはこども連れや車椅子の方の姿も見られました。こども連れの方(子連れの友だち同士)の机には、あれあれ、木製のおもちゃが。よく見ると、壁沿いにネフスピールはじめいくつものおもちゃが並び、どうやら自由に席に持っていっていいようでした。これはうれしい。こども椅子には、トリップトラップチェアが採用されてました。

駅に近いこともあって、最近はスタバばかり利用していましたが、またちょっとモスにも目を向けてみよう。

そろそろ街にはクリスマスものが並びはじめていました。年賀状どうしようかな。今年はなしかな。また、お歳暮なども今年はわたしがあれこれ手配しなければならないのだろうな。ここしばらく外とのお付き合いは忘れてのんびりしていましたが、また母代理として忙しい日々がやってきそうです。